こないだアメリカ大統領選についてちらっと書いたけれども、その後、つらつらと考えたことなどを。
以下は一般論であり、さらに私は法律にも政治にも素人なので、何の参考にもなりはしないことを最初に断らせていただいて……
えーと、まずは選挙をして選挙結果が出ました、と
例えば、政権与党が勝って、野党が負けました、と
そうすると与党の側は「我々の政策・主張が受け入れられた結果だ」と言い、野党の側は「我々の政策・主張が十分には理解してもらえなかった」だとか「不正投票があった」とか言う。
これがまず、投票結果を自分たちのいいように解釈している例。
これが信用できるものか、妥当性があるかというと、ないだろうな。投票結果は、「有権者がどう考えてそういった投票をしたか」ということを示すものじゃない。
逆に言うと選挙というのは、有権者は投票した側の政策を信任しているということを仮定して実施されるシステムだともいえる。
これはあくまで仮定であって、その実はどうだかわからない。確かに政策を吟味した上で投票する人もいるだろうけど、別の動機で投票する人も多いだろうし。
で、さらにここに各種世論調査が加わる。投票結果と世論調査結果を合わせて検討した上で解釈してみたらどうだろうか。
まあ世論調査の取り方については、技術的な問題は無いものと仮定しましょう(サンプリングの仕方や、選択肢の内容やその並び方とかね)。
それでもなお、選挙結果の解釈というものが信頼できる、妥当性があるものかというと、実は疑問だったり。
これはアンケートによる調査っていう形式自体が持つ限界じゃないかと思うんだけどね。
アンケートってのは、行動の動機をきちんと反映したものなのだろうか。
もっというと、この場合のアンケートってのはある人が自分の心理状態を分析して(自己評定して)回答するものだけれども、その自己評定ってのがいかにあてにならないものか。興味のある方は心理学の迷宮に踏み込んでいただきたいのだけれども。
世論調査というのも(その形式的な限界により)投票する動機をきちんと反映しているとは考えにくいわけで。
じゃあ、何を持って選挙結果を解釈すれば良いのか。
……ていうか、解釈なんて好きにすりゃあいいんだけどさ(笑)。
問題はその解釈が妥当性・信頼性という点では疑わしい、多数の仮定の上に成り立つものだということを自覚しているかどうかだわな。
選挙というのも、票を多数獲得した側の政策が支持されているという仮定に基づいたものだし。
世論調査というのも、その時点での世論を正確に反映しているという仮定に基づいたものだし。
世論調査と選挙をリンクさせるというのも、投票行動に潜む動機と、その動機の自己評定が正しく対応しているという仮定に基づいたものだし。