2004年12月31日

ヒョードル vs ノゲイラ

こんなこと言いたくないんだが、なんとも低調な試合だな、おい。
打撃主体のヒョードルと、グラウンドで一番強いノゲイラ。二人ともなまじディフェンスがしっかりしているだけに、いや、噛み合わないの何の。
二人ともめちゃめちゃ強いことは周知の通りだし、そのことに異論を唱えるつもりは毛頭ないのだけれども、試合の面白さという点ではかなり低いですよ、こいつぁ。
カタルシスがないっすよ。
これじゃあ両者ともすっきりしないだろうなあ。
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ハント vs シウバ

仕事から帰ってテレビをつけたら、丁度テレビでハント vs シウバ戦をやっていた。
いや、このふたり、噛み合ってて面白いわあ。
ヘビー級のハントとミドル級のシウバ。本来だったらありえないマッチメイクなんだけれども、シウバのミドル級離れした打撃力と、ハントのヘビー級離れしたスピード(元々ヘビー級にしては小柄な選手だからね。ふくよかだから鈍重そうに見えるが、スピードが無きゃK-1でチャンピオンにやあなれんわな)、そして何よりも両者のアグレッシブな勝ちに行く姿勢がこの試合を面白くした感じ。
結果は判定でハントの勝ち。
勝ったハントはもちろん賞賛されるべきだし、負けたシウバも賞賛されるべきだ。こんな無茶なマッチメイクは、シウバの並外れた実力がなければ成立しなかった。
そしてそれ以上に、判定になったにもかかわらず試合を面白いものにした二人が素晴らしい。

さて、次はヒョードル vs ノゲイラ戦だわ。
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2004年12月28日

M-1の感想

日曜日は11時ごろに帰宅し、それから録画しておいた有馬記念とM-1をチェック。
で、M-1。トータルテンボスと南海キャンディーズが未見だったんだけれども、いや、南海キャンディーズ面白かったわあ。火を怖がるサイにはテレビの前で大爆笑。何度も見返してしまいましたよ。
優勝したアンタッチャブルとの差は、やっぱりネタの構成だろうか。ネタの中で一番笑いが爆発するポイントがどこに来るかという話。
アンタッチャブルは、ツッコミの柴田さんが徐々にテンションを上げていき、終盤にそのテンションを最高潮まで持っていくことで、爆発するポイントを終盤に持ってきている。それに対して南海キャンディーズはその笑いのポイントがネタの前半に来ているのね。
自分たちのことを良く知らない観客をあっためるという意味で、一回目のネタ前半にドンと笑えるものを持ってくるというのは正解かなとも思うのだけれど、二回目のネタを見る頃にはもう観客の南海キャンディーズに対する見方が変わっているわけで、二回目のネタの前半ではなくて終盤に爆発するポイントを持ってくることが出来たら、もっと審査員の票が分かれたかもしれないなどと。
でも、とても面白かったですよ。ネタ番組に南海キャンディーズが出るとしたら、それを目当てに番組見ますよ、うん。

他の皆も面白かったけれど、個人的には千鳥と東京ダイナマイトがあまり笑えなかった(まあ、千鳥のネタは以前にも見たことがあったってのもありますし、私が苦手なタイプのネタだったってのもあるんですが)。二組とも客席を気持ち悪ーい笑いに巻き込んでいくタイプなので観客もテンション上がっちゃってるM-1みたいな形式はもともと不利な部分があるのかもしれないですな。
しかしあれだね、POISON GIRL BANDってボヤキ漫才の変種なのかも知れないですな。あと、このままだと笑い飯は飽きちゃうぞ、と。
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2004年12月24日

クリスマスについて

世間ではクリスマスイブだそうで、みんなうまいもん食ったり交尾したり仕事だったりいたしますが、クリスマスといえばプレゼント需要で、まあみんなあれだ、マリオパーティー6やらDSやらドラクエやらプリキュアやらその他諸々死ぬほど売れた上にみんなそろって「プレゼント包装お願いします」って、みんなもっと包装を控え目にして地球に優しいエコなクリスマスを目指すべきなんだがこの二日間はそんな具合で死ぬほど忙しく、その上「小学生3年生くらいの子どもがやって面白いゲームは何か」って、気持ちはわかるけれどもそんなもんどうやって答えろって言うんだってまあ適当に答えたけれども、そんな中で子どもに「何が欲しい?」と堂々と聞けないが故の買い間違いによる返品が、より一層レジの前に並ぶ列を長くするのに拍車をかけ、なんだかんだでようやく帰ってきたので明石家サンタが待ち遠しくて仕方がない夜更け。


まあ要約すると
「fuck クリスマス。俺たちを殺す気か」となるわけですが。
まあ死者は出なかったので、めでたしめでたし。
寝る。
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2004年12月21日

キーワードが「生きのびる」であったことなど

切込隊長の無業者(ニート)に関してや、at most countableさんの教育に関する一連のエントリを読んだりして色々と考えさせたれたのだけれど、考えは一向にまとまらず、とりあえず思いつくままにキーボードを叩いてみることにする。


このBlogは元々やっていたサイト(今は放置状態ですが(笑))の日記として始まり、レコード輸入権の問題をしつこく追っていたりしたおかげで、零細ながらも見ていただける方も増えたわけだけども、その輸入盤問題華やかなりし5〜7月ごろ、私個人はというと金銭的にも精神的にもかなり危機的な状況だった。
なんのこたあない、会社を辞めて失業状態だったのである。
就職活動は自分の思うようにはいかず(当たり前だ)、貯金も底の方が見えはじめた。そうすると不思議なもので、無力感というか、「ああ、俺ってダメダメ」というか、自分が無価値であるような感じがしてくる。極々親しい知人(愛してるよ)の言葉に何度助けられたかわからない。就職が決まるのがあと半月遅かったら、私は住む家を失っていたかもしれないし、現在も非常に折り合いの悪い親のもとに戻ってニートになっていたかもしれない。どっちに転んでいたかはわからないけれども。
両親に感謝はしているんだが、堂々と「折り合いが悪い」なんて書いてしまう私は大変な親不孝者だな。


さて、社会に出て最初に就職した先というのが某ホームセンターだったんだが、これが非常に離職率の高いところで、厳しい労働条件に同期・後輩・先輩問わず、みんなどんどんと辞めていった。
このときの私の目標は「生きのびる」であった。いや、過労死した人とか失踪した人、入院した人とかもいたんだって。
あの会社にいた日々というのは、文字通りの意味でサバイバルだった。「競争」ではなくて「生存」。


結局4年半ほど勤めたところで体を壊したこともあり会社を辞め、その当時の転勤先であった京都に居座って就職活動。新古書店に入社し楽しく仕事をしていたんだけれど、社長とものすごくそりが合わず、というか、大喧嘩をやらかして二度目の失業。これが今年の三月。
同じ業種の会社に再就職できたのは、本当に幸運だった。


で、私の現在の目標はといえば、やっぱりあいも変わらず「生きのびる」であったりする。
地元でもなんでもない京都の地で一人暮らししながら就職活動というのは、やはりそうそううまくはいかないものでね。専門職の経験もないし、腕に技もないしな。
現在、なんとか屋根のあるところでこうやってPCに向かい合っていられるご身分でいるけれども、これは本当に僥倖というべきでね。二度の失業というのは、自分がホームレスまであと一歩であったことや、ニートとなる素質十分であることなども嫌というほど自覚できる経験だった。


私に起こったことは、あなたにも起こり得るかもしれないし、もう起こっているかもしれない。今の世の中、失業や転職なんて珍しくもないしね。


話は変わる。
私、社会学には明るくないのだけれど、どこぞで日本社会の階層化が進んでいるなんて話を小耳に挟んだ。
あれだ、暗いニュースリンクさんとか読んでいる人は聞いたことあるんじゃないかな、「アメリカでは中産階層が絶滅に瀕し、社会が金持ちと貧乏人に二分化されている」って奴だ。あれが日本でも進行中なんじゃないかってな話。
言い方を変えると、「生きのびる」ってのが目標になる、そんな人たちがどんどん増えていく社会になるってな話だ。


私もいつのまにか「大人」ってな年になり、子どもをどんな風に社会に送り出したら良いのか考えなきゃいけないようになってきた。「生きのびる」が至上命題となっている、そんな社会にどんな声をかけて子どもを放り出しゃあいいのか。
いや、答えなんかでないんだけどさ。
出ないんだけど、やっぱり成功した経験というのがポイントになるのかなあと漠然と思ったりする。自分で何かに打ち込んで何かをやり遂げたという経験。
で、これは必ずしも学校が提供する類のものでもないだろうなあ、とも。
ただ、十人十色、人間、どんなことに興味を持つかなんてわからないわけで、いろんな知識や経験に広く手出しが出来るようにすることで、その手助けは出来るのかもしれない。「広く手出しが出来る環境作り」は大人の仕事なんだろうな。
ここいらへん、「創造のサイクル」とかいった意味で貸与権・公貸権・中古規制ともリンクしてくる話だったりするんだが、まあ、今は深追いするのはやめておきましょう。本当、ややこしい話だねえ。きっと答えなんか出ないんだけどさ。
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2004年12月20日

陽あたり良好!

H2やタッチが実写化されるというニュースがファンの方を騒然とさせている昨今でありますが、堂々と実写版テレビドラマが放送されていた陽あたり良好!は黒歴史入りということでよろしかったでしょうか?
posted by 旅烏 at 23:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月19日

今年良かったアルバム10枚

暮れも押し迫ったことだし、今年良かったアルバムを10タイトルほど挙げてみようかと。
気になるアルバムを全部購入できるほどの財力は無いので、チェックしていないアルバムのほうが多いことは言うまでも無い。
では、順不同で10タイトル行きます。


“Afterthought”FAT JON
全編インスト。買う気は無かったんだけれども20秒ほど視聴した後、発作的に購入したアルバム。
 本作、えらく内省的な作りになっていて、個人的にそういったアルバムには気の重くなるものが多い。なんていうか、繰り返して聴くと疲れちゃうというか。例えば、DJ SHADOWの1stアルバムは大傑作であるかとは思うんだけども、繰り返して聴くかというとちょっと躊躇してしまう、みたいな感じ。今回挙げる10タイトルにMOS DEFの“New Danger”が入っていないのはそういった理由による。
 このアルバムには、そういった私を躊躇させるものがなかった。それはなぜかとたずねたら、躍動感溢れるベースとドラムがきっちり縁の下を支えているから。というか、縁の下どころか屋根も外壁もベースとドラムで出来ている。でも、住人は内省的とくらぁ(笑)。


“A Vision and a Plan”PHOCUS
 実に程よくPOPなアルバム。今聞くと一曲目で挿入される故ODBの声ネタが哀歓を誘うなあ。目新しくは無いかもしれないけれども、決して二番煎じではない。MCの基礎体力もお見事。いいよぉ、これ。


“Shaheedullah and Stereotypes”ALI SHAHEED MUHAMMAD
なんのこたあない、ラファエル・サディークとドーン・ロビンソンが抜けたルーシー・パールだ、これ(笑)。
でもルーシー・パールだからなあ、出来は良いんだわ。
ヴォーカルがちょっと無難かなとも思うけども、一聴の価値はあるかと。


“Straight from Underground”NITRO MICROPHONE UNDERGROUND
 個人的には一曲目に尽きる。でも、他にもいい曲が収録されていたりしまして(知名度から考えると失礼な表現ながら)拾い物のアルバム。とりあえず、S-WORD、DABO、MACCA-CHIN、GORE-TEX、DELIの健在ぶりが確認できてなにより。SUIKENはちょっと物足りなく聴こえた。


“To The 5 Boroughs”BEASTIE BOYS
 何を思ったかオールドスクールへと力強く回帰してしまった不良中年三人組。ちぇッちぇちぇっちぇっちぇっちぇきあう! で、とぅりぷるとらーぶよぉ! なのである。
 歌詞を読むと、パーティーよりも時事問題や政治的な主張が目立ったりもする。
 大真面目にオールドスクールをやるぞというインパクト勝負な一面もあるけれども、それにまんまと引っかかってしまった気分は悪くない。コロンブスの卵的好感。


“Same Girl”TRINA BROUSSARD
“After Hours”RAHSAAN PATTERSON
まとめて扱うような出来ではない素晴らしいアルバム二枚。でもまとめて扱っちゃう。
ソウル・ルネッサンスだかニュー・クラシック・ソウルだかネオ・ソウルだか、それの最新系。
 最新系といってもその性質上、新奇なものはなにもない。いや、それでいいんだ。というか、それがいいのである。
 いや、だってさ、美しい歌声とメロディとしっかりしたリズムがあるんですよ、旦那。それでいいじゃないのさ。


“MADVILLAINY”MADVILLAIN
驚異のワーカホリックであるM.F.DOOMとMAD LIBのユニット。二人とも自分の世界を突っ走るあまりに、時にリスナーを置き去りにしてしまうんだけれども、このアルバムでは二人ともリスナーの方を向いてくれている。“Accordion”、“Raid”を初めとした曲のかっこよさは神がかり的。なんとも居心地の悪いざらついた音がなんとも居心地がいい。こういったトラック、少なくはなったけども、無くなることはないだろうな。つーか、無くなったときにはHIPHOPもなくなるような気もする。


“9th Sense”スチャダラパー
 スチャダラパーが攻撃的になるとこうなるんですよといった感じ。DEV-LARGE、CQとの共演はハズレだったけれども、まあご愛嬌。前作が今ひとつだったのが嘘のような会心の出来。トラックはシンプルで太く、リリックは狙いをしっかりと定めて。変な言い方をすると、シーンを余裕たっぷりでおちょくっているような。


“グレイゾーン”ライムスター
 ライムスターも攻撃的なんだよな(笑)。なんかもう、余裕とか言わないで全弾発射。
 なんつーか、強いぞ。攻撃的なあまりに、酒についての曲まで愚痴になってる(笑)。
 ここまで主旨主張がはっきりとしたアルバムってのも、ライムスターでは初めてではなかろうか。
 惜しむらくは、レーベルゲート2なのよね。傑作なのに。
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決して勘違いしたわけでは! そんなことは断じて!

と、いうわけで買ってきた本。

「アヒルと鴨のコインロッカー」伊坂幸太郎(東京創元社)
「パンプルムース氏のおすすめ料理」マイケル・ボンド(創元推理文庫)
「だれも猫には気づかない」アン・マキャフリー(創元推理文庫)
「快盗ルビイ・マーチンスン」ヘンリイ・スレッサー(ハヤカワミステリ文庫)

ええと、期せずしてミステリばかりになったわけですが、まあ、それは意図したことなんでいいんですが、ヘンリー、またはヘンリイという名の著名人には様々な方がいらっしゃるわけで、ヘンリイ・スレッサーもそのひとりでありますが。
何が言いたいかというと、決してヘンリー・カットナーと勘違いして購入したわけではないということを熱く語りたいわけです。
だいたいややこしいんですよ! ヘンリイ・○○ッ○ーとヘンリー・○ッ○○ー ほら! 伏字にしたら、そこのあなたもどちらがどちらやら、いや、私は断じて間違えて購入したわけではないのでいいんですけどね、ええ。そうそう、C・L・ムーアの旦那がカットナーで、映画化されたのが怪盗ルビイで、お茶碗持つほうが左で、赤は進めで青が止まれで、チューボーですよがフランキー堺だ。うん。
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2004年12月15日

スケープゴート

ええと、ドンキホーテの火事について書いたエントリに、素晴らしき世界さんからTBいただいたんですがね、うーむ。
なーんか、ドンキの経営陣とメディアを悪者にして、ああいい気分という感じの文章でございますな(メディアについては自己批判って形で触れられているんですが)。
きっとマスコミの報道もこの線で収束していくのだろうなと思うと、興味深いエントリではありましたが、なんかねえ。スケープゴート探して解決するような類の問題じゃなかろうにとも思ったりいたしますな。
というわけで批判的TB返し。
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海外の著作権者・著作隣接権者がレコード輸入権を行使した場合

海外の著作権者・著作隣接権者がレコード輸入権を行使した場合、その情報はどこで開示されるかというと、そういやどこでも開示されないことになるんじゃないかと思った29歳の冬の夜、風邪気味、そんな私にもっと愛を。
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2004年12月14日

ドンキホーテで火事

他人事じゃないよなあ。
あの陳列方法はもう、おそらくは会社ぐるみで推し進めたコンセプトなわけで、あの陳列方法を取る以上、消防法に抵触しない売場を作るってのは、不可能ではないしろ神業に近いでしょ。皆が皆出来る芸当じゃない。
おそらく今頃全店舗に本部から「消防法守らなきゃめーーーっ!!」ってな糞の役にも立たない通達が回ってるんだろうな。
あの陳列方法を取る以上、山のような(おそらくは過剰気味の)商品に店舗の人間はキリキリ舞いさせられているんだろうなってのも想像に難くないわけだが。
多分だけどさ、季節ごとに季節商材を山のように店舗に送り込んで、当然の如くそれが完売するとは限らず、で、また次の季節商材が入ってきて……以下エンドレスでゴミの山が堆積していく、と。
店舗では商品の山に埋もれた従業員が通達を見ながら「この状況でどないせいっちゅうねん!!」と発狂寸前でわめき散らす。ああ、目に見えるようだわ。
かくして、売場には詰め込まれるだけの商品が詰め込まれ、時には通路にはみ出し、防火シャッターは途中で突っかかり、排煙窓は商品に塞がれ用を成さず、誘導灯は視界不良で見えず、従業員三人が行方不明で死体が三体確認(心よりご冥福を。いや、本当に)。

もちろん、これはドンキホーテに限ったことではなく、多くのチェーンストアが抱える問題であって、いや、これで正直改善されるかってえと望み薄だと思うんだけども。
チェーンストアの多くでは標準化された売場構築を謳ってはいるんだけれども、その実、その標準化ってのは理想化された代物であって、肝心の構築と維持はマンパワーに依存しているってのが現状で、そのしわ寄せがどこに出てくるかというと、高い離職率であったり、従業員の持病であったり、防犯・防災面での不完全さであったりするわけだ。

本当、このニュース恐いわ。他人事じゃない。
posted by 旅烏 at 18:25| Comment(2) | TrackBack(16) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

求むアイザック・アシモフ(時給・休日応相談)

なんか先日来、科学エッセイが読みたくて仕方がなくなってしまい、本屋へ行ってグールドのエッセイ集なんかを買い漁ってきたわけでありますが、いや、やっぱりいいね。
科学エッセイというと、パッと思い浮かぶのがグールドとアシモフなんだけれども、これは私がSFファンであることと無縁ではない。というか、両方とも早川書房から出てるってことと無関係ではあるまい(笑)。
しかしあれだ、これを読むにつけ残念なのが、心理学にもアシモフやグールドに匹敵する筆力及び影響力をもつ書き手がいたらなあ、と。
筆力という点では、きっと探せばいると思うんだよ。学生時代にお世話になった先生の著作を読んでみたら、これがわかりやすくて面白かったってのもあったし。ついでだから宣伝しておこう。鈴木光太郎先生と本田仁視先生な。面白いぞ。
下條信輔氏の「サブリミナル・マインド」も面白かったし。まあ、「サブリミナル」っていうタイトルは扇情的かなとも思うけれども(笑)。
でもなあ、知名度という点で今ひとつというか、いや、アシモフやグールドと比べるほうが間違っているとも思うんだけどさ(笑)。日本人に限っても自然科学の分野では金子隆一氏や石原藤夫氏、福江純氏に橋本淳一郎氏といった人材がいるし、哲学関係でも(読んでないジャンルだから名前は挙げないけれども)結構一般向けの著作ってのが出されているはず。
それが、心理学になると少ないんだよなあ。心理学まがいの自己啓発本は腐るほど出ているし(大体、精神医学の先生が書名で「心理学」とか名乗ってんじゃないよ。ったく)、カウンセリング関係の本も出てる。まじめな学術本ももちろん出ているけれども、一般向けの読んで楽しい本、またはシーンを概観する(変な言い方だな)解説本ってなると、これががくんと激減する。精神分析? 知るか、そんなもん。ありゃ別ジャンルだ。
いや、書くことが出来る人材はいると思うんだよ。その場が無いだけで。
一般向けのサイエンスってえと、どうしても自然科学、ハードサイエンスに偏ってしまうってのは仕方のないことだとは思うんだけども、うーん。
ひとつ、アシモフみたいな人物が出てきてくれないもんかね?
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2004年12月08日

マボロシ

“ワルダクミ”マボロシ

RhymesterのMummy Dとスーパーバタードッグの竹内朋康によるユニット、マボロシのアルバム。シングルはCCCDだったが、アルバムはCD-DA。安心して購入。
「泥棒」「ブレーメン」「HARDCORE HIPHOP STAR」「マボロシのほし(EARTH-GO-ROUND)」ってなとこはかっこいいなあと思ったが、少々とっちらかった印象。アルバムの方向性・まとまりや、曲のコンセプトのバラエティといった点で、同じくRhymesterの宇多丸師匠が果たしている役割ってのは、やっぱし大きいんだな、多分。出来が悪いとは思わないけれど、人に勧めるとしたら“リスペクト”“エゴトピア”“グレイゾーン”といった作品群になっちゃうかなあ。
逆に、もっとこなれてくるであろうマボロシの2ndアルバムが出るとしたら、それは聴いてみたいかも。
posted by 旅烏 at 00:23| Comment(1) | TrackBack(0) | 購入したCD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グールド等

「パークライフ」吉田修一(文春文庫)
「オーデュポンの祈り」伊坂幸太郎(新潮文庫)
「ブランコのむこうで」星新一(新潮文庫)
「西条秀樹のおかげです」森奈津子(ハヤカワ文庫JA)
「次元がいっぱい」アイザック・アシモフ(ハヤカワ文庫NF)
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ(ちくま文庫)
「ウィリアム・テン短編集1・2」ウィリアム・テン(創元SF文庫)
「スターキング」「スターキングへの帰還」エドモンド・ハミルトン(同上)
「キノの旅8」時雨沢恵一(電撃文庫)
「会計チーフはゆーうつ」おーはしるい(芳文社)
「干草の中の恐竜(上・下)」「ダ・ヴィンチの二枚貝(上・下)」「フルハウス 生命の全容」スティーヴン・ジェイ・グールド(早川書房)
「意識/無意識のサイエンス」本田仁視(福村出版)
「人間性の起源と進化」西田正規・北村光二・山極寿一 編(昭和堂)

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2004年12月07日

還流防止措置のガイドライン公表 の続き

というわけで、このエントリの続き。

文化庁のガイドラインを(多分)受けて、RIAJが表示に関する運用基準を公表。

こちらでは、文化庁のガイドラインでは触れられていなかった、具体的な記載例や文字のサイズにまで言及されている。

で、表示は確かに大事なわけだけれども、表示以外の、ガイドラインにおいて独自に公表された各種基準については言及されていないわけで(廃盤についてとか、国内国外のリリース順についてとか、ボーナストラックについてとか、対象リストの公開についてとか)、これらについても運用基準を明らかにしていただきたいものである。これはするんだろうな。当然するんだろうな。
もちろんしらばっくれるという選択肢もあるんだけれど、当然運用基準を明らかにするんだろうな?
いやいや、これはきっと邪推というものだ。きっとRIAJは運用基準を示していくに違いない。
そうしなければ、レコード会社はその信用をさらに失ってしまうことぐらいわかっているだろう。当然だな。
では、RIAJが更なる運用基準を公表するのを、生暖かく見守るとしましょうかね。
posted by 旅烏 at 23:44| Comment(1) | TrackBack(6) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レコードの還流防止措置におけるガイドライン公表

れしさんとこ経由のさらに謎工さんとこ経由。文化庁が還流防止措置のガイドライン公表。こちらこちらをどうぞ。


で、簡単にまとめると、まずは要件が五つ。

 要件@ 国内において先又は同時に発行されている国内頒布目的商業用レコード(国内において頒布することを目的とする商業用レコードをいう。以下同じ。)と同一の国外頒布目的商業用レコードであること。
 要件A 「情」(要件@の事実)を知りながら、輸入する行為等であること。
 要件B 国内において頒布する目的での、輸入行為又は所持行為であること。
 要件C 国外頒布目的商業用レコードが国内で頒布されることによって、それと同一の国内頒布目的商業用レコードの発行により権利者の得ることが見込まれる利益が不当に害されることとなる場合であること。
 要件D 国内頒布目的商業用レコードが国内において最初に発行された日(国内において最初に発行された日が、改正法の施行日より前である場合にあっては、一律改正法の施行日)から起算して4年以内であること。


このうち、「国内において先又は同時に発行されている」という部分は、このガイドライン独自のものであり、法的拘束力はない

要件@についての留意点が2つ挙げられているが、そのうち二つ目。

イ 国外頒布目的商業用レコードが発行されているのみで、それと同一の国内頒布目的商業用レコードが発行されていない場合は、もとより本措置の対象外であるが、更に、国内頒布目的商業用レコードが廃盤となった場合(レコード会社から小売店等に対して発した当該国内頒布目的商業用レコードの回収に係る通知に記載された受付開始日を当該廃盤の日とみなす。以下同じ。)にも、従前は本措置の対象であった、それと同一の国外頒布目的商業用レコードは、本措置の対象外として取り扱われることとなること。また、このことは、改正法附則第3条が適用される、改正法の施行日より前に発行された国内頒布目的商業用レコード(以下「旧譜」という。)についても同様であること。


この廃盤に関する規定も、このガイドライン独自のものであり、法的拘束力はない。

さらに要件@の中での「同一」という部分。どこからどこまでを同一の範囲内とするのかについて。記録媒体の違いについては問わないというのは以前から国会答弁で言っていたことであったが、さらに詳細に。

ア 商業用レコード
  「商業用レコード」とは、市販の目的をもって製作されるレコードの複製物をいい、「レコード」とは、録音テープその他の物に音を固定したもの(音をもっぱら影像とともに再生することを目的とするものを除く。)をいうので(法第2条第1項第5号及び第7号)、具体的には、いわゆるレコード盤のみならず、音楽用CD、DVDオーディオ、カセットテープ等が含まれるが、音が固定されているものであっても、例えば、携帯電話、パーソナルコンピュータ、カーナビゲーション等は、その音を市販することを主たる目的としているわけではないので、商業用レコードには含まれないこと

イ 同一要件を満たすもの
 本措置の対象となる「同一の商業用レコード」とは、商業用レコード全体として固定されている音が同一であれば足り、例えば、次の(ア)又は(イ)の場合であっても、なお同一要件は満たされるものとして取り扱われること。
(ア)ジャケットや歌詞カードなどの附属品が異なる場合
(イ)音楽用CDとDVDオーディオなど、媒体が異なる場合
  なお、我が国の音楽文化の海外普及を促進するという本措置の趣旨にかんがみ、次の(ウ)の場合も、同一要件は満たされるものとして取り扱うこととすること。
(ウ)国外頒布目的商業用レコードに、いわゆるボーナストラックが1曲のみ付加されている場合(ただし、それに対応する国内頒布目的商業用レコードの収録曲数が12曲以上である場合に限る。)

ウ 同一要件を満たさないもの
 収録曲は同じでも、曲順が異なる場合は、同一要件は満たさないものとして取り扱われること。



ここなんかはかなり文化庁としてはがんばったところなんじゃないかなと思うんだが、いかんせん、やっぱり法的拘束力はなかったりするんだな、これが。残念。

他には

 権利者がジャケット等に「情」(要件@の事実)の内容を明確に表示していない国外頒布目的商業用レコードは、要件Aの立証が困難となること。このため、関税定率法(明治43年法律第54号)第21条の2の規定に基づく税関長に対する輸入差止申立て(以下「輸入差止申立て」という。)を行うに当たっては、当該表示がなされていることを示す資料を提出する必要があること。


日本レコード協会は、本通知を踏まえ、本措置の税関等における円滑な運用に資するため、少なくとも次のアからカまでの内容を満たす、要件Aに係る表示に関する運用基準を作成及び公表し、加盟会社に適切な表示内容及び方法として推奨するとともに、今後の運用状況を踏まえ、必要に応じて適宜見直しを行うこと。
 なお、その作成及び見直しに当たっては、事前に文化庁に協議されたいこと。

ア ジャケット、バックインレイ、キャップなど外部から見える場所のほか、相対的に簡易な記載内容でも差し支えないので、盤面にも表示すること
イ 特段の理由がない限り、シールの貼付等ではなく印刷によること。
ウ 日本語又は英語を含む、2種類の言語で併記すること。
エ 当該国外頒布目的商業用レコードに係る本措置の対象期限についても記載すること。
オ 本措置を行使するために必要な他の要件のうち、表示を付する時点で判断可能なもの(@、C(可能な場合)及びD)については、各要件を充足することを確認した上で、表示を付すること。
カ 旧譜より後又は同時に発行された、それと同一の国外頒布目的商業用レコードについても、当該運用基準は同様に適用すること。



表示の大きさについては、残念ながら指定なしですな。印刷によるってのは評価できるけど。税関への資料の提出が必要というのもまあ○。
法的拘束(rh

あとは国会でも紛糾した「利益が不当に害される」具体的な基準。

(1)不当の基準の運用

  「(権利者が)得ることが見込まれる利益」とは、商業用レコードの売上額そのものではなく、いわゆるライセンス(使用許諾)料をいい、国外頒布目的商業用レコード1枚当たりのライセンス料を、それと同一の国内頒布目的商業用レコード1枚当たりのライセンス料で除した数が0.6以下である場合(以下「不当の基準」という。)は、当該利益が不当に害されるものとして取り扱うこととすること。


というわけで、「不当に害される」の基準は6割。
情報公開については

(1)対象リストの公開

 日本レコード協会は、自ら又は他の者にライセンスを付与して国外頒布目的商業用レコードを発行している加盟会社に対し、当該国外頒布目的商業用レコードの輸入差止申立てに係る、少なくとも次のアからキまでの内容を含むリスト(以下「対象リスト」という。)を作成させ、当該加盟会社のウェブサイトにおいて速やかに公開及び更新させるとともに、加盟会社の対象リストを取りまとめ、日本レコード協会のウェブサイト等を通じて一般に周知すること。

ア 輸入差止申立てに係る状況表示
 (申立て予定/受理済み/取下げ予定(日付)/取下げ済み又は対象期限経過)
イ アーティスト名 
ウ タイトル
エ 商品番号
オ 発行(予定)日
カ 対象期限
キ 発行又はライセンス国等


リストの作成と公表を各社及び協会任せにするというのは、どうなん?


と、あとはめんどくさいので省略(笑)。
まあ、ここの基準を見ると、割と評価できるものにまとまったんと違いますか?
ただ、文中何度も書いたように法的拘束力はないんだな(一部、元々の条文に盛り込まれているものがあるんで、それは拘束力ありますが。あと例の「4年」という期間も)。
ギリギリで出してきたにしちゃあ良くまとまってると思うんだけど、権利の創設を急いだせいでこれらの基準は一切の拘束力を持たないものとなったってな印象を受ける。
文化庁が自分で言い出したことが守られないような事態になったら、法律改正(含む撤廃)に向けて、また一騒ぎ。
そのときの騒ぎ方はどのくらいの規模になるでありましょうや。大騒ぎになるか小騒ぎになるか、ぶっちゃけわからんけども、まあ、少なくとも俺は騒ぐだろうなあ。
で、このエントリー実は続きます
posted by 旅烏 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(2) | 音楽業界関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なんかひろゆき氏まで語っているので、取りとめも無く雑文を書いてみる

日々適当なblogさん経由で、あのひろゆき氏が再販制度について語っていることを知った。おおっ! なんかすごいぞ! 何がどう凄いのかはわからんが!
で、これがそのエントリー。元祖しゃちょう日記:ブックオフとamazonが再販制度を変えたように音楽も。
皆さん、お読みください。







……読んだ?
納得した?
私は、何箇所か引っかかるところがあって、なんか釈然としないものが残ったんだけども。
まずはタイトルの「ブックオフとamazonが再販制度を変えたように」ってのが、まずひっかかるというか事実と違うというか、amazonや新古書店が変えたのは消費者のスタイルであって、再販制度は何も変わってないよなあ。
とはいえ「変えたように」じゃなくて「変えつつあるように」だったら、それでOKな話なんで、些細なことでありますが。

で、ひろゆき氏の言うように、新古書店で本がワサワサ売れているかというと、それは隣の芝生は青く見えるという奴で、そんなにワサワサ売れている気はしないなあ、と。
新古書店でも既存店ベースで見ると、本の売上は前年比割ってますって店舗の方が圧倒的に多いんじゃなかろうか。CDもしかり。

もひとつ、amazonが古本の取り扱いを始めたってのを「近視眼的」と表現しているんだけれども、それは真に近視眼的なものであるか否か。
実はこれ、かなりタブーブレイキングなことじゃない? 一部の新古書店で新刊の雑誌を置いていたり、紀伊国屋を初めとする一部の新刊書店ととふるほん文庫やさんが提携したりって事例はあるにしても、新刊と古本を同時に取り扱うというのは一般的な業態というには程遠いってのが実情でしょ。
でも、使う側にしてみれば、両方取り扱っていた方が便利なわけでさ。

で、さらに進めると、アレだ、出版業界を支配しているのは誰かっつうと、実はこの点の認識が私と他の人との話がかみ合わない原因(のひとつ)だと思うんだけどさ、支配してるのは消費者、ユーザーだと思ってるんだよ、私。出版社でも小売でも著作権者でもないと思ってるんだ。
プロのクリエイターが一般に向けて創作物を提供・公開しているんだっていう考え方は根強いものがあると思うんだけど、実際のところ、現実はそれを当の昔に追い越してしまっていてさ。主導権はとっくに逆転しているんじゃないかと(消費者に媚びることがいいことかどうかってのは別の話だ)。2chなんてその典型だわな。
曰く「本や音楽が潰れてしまって楽しめなくなっても良いのか?」ってなことを言う人、割といるけれども、消費者にそっぽを向かれた業界が衰退へ向かうのは至極当然のことで。
逆に言うと、ある業界が潰れるってのが、どこまで徹底的に消費者にそっぽを向かれた結果生じる状態であるのか。
なんかうまく言えないんだけども、そこまで徹底的に愛想を尽かされた業界だったら、んなもん潰れて当然だろっていう感覚があるわけですよ。
レコード輸入権のゴタゴタでは、山下達郎氏の、レコード会社は潰れても音楽は残るって名言があったわけですが、これ、書籍にも映像にもことによったらゲームにも当てはまる話でございましてね。
もちろん、市場規模が縮小すれば地方と中央の格差ってのが偉いことになるだろうし、著作物を楽しむってのが一部の変わり者の趣味になったりするんだろうけども、それでも残るだろうと。
大体さあ、消費者の支持を失った結果消えていった文化なんて掃いて捨てるほどあったはずだぜ? 著作物がそうであってはならない理由なんてなにもない。
というか、著作物がどんなに重要で貴重でかけがえの無いものであっても、本質的には消えてしまうことがありえるものだと思っているんだよ、俺。
著作物が消えてしまうという事態が訪れたとしたら、それはきっと消費者の選択、又の名を時代の流れってやつだ。「著作物」っつー代物が時代に取り残されたっつーこった(「古代から現代まで生き残っている古典も多いじゃないか」だって? そういった古典は時代に取り残されていたとでも?)。
だとしたら、著作物が生き残るためになすべき努力は時代に取り残されないことであって、再販制度や著作権にしがみつくことじゃねえやな、と。
音楽配信やら再販制度への疑問やら著作権の権利強化への反発やらネット書店とリアル書店の比較考察なんてのは、「あんたら、時代に取り残されかけているんと違うか?」という指摘としても捉えられる。



……随分ダラダラと取りとめも無く書いた結果、ひろゆき氏のエントリが途中でどっかに飛んでっちまったわけですが。
要はアレですわ、amazonが古本を扱わないことが日本の文化の育成につながることなのか、古本を扱うことが日本の文化の育成を妨げることなのかって言ったら、んなアホなこたあねえだろ、と。
「消費者のスタイルってのは『文化』の内には入れちゃあもらえないのかい?」とも言えるな。
posted by 旅烏 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 出版業界関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月06日

ソースを探す気さえ起こらないんですが

なんか報道ステーションで松岡修三が熱く大真面目にゲーム脳がどうたら言っていて、なんかかわいそうになってきましたよ。俺だけではあるまい。
posted by 旅烏 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

貸与権でいくつかクリップ

いくつかクリップ

試される。:権限なき利権が目論まれる書籍・雑誌貸与権

Fighting MAL Antenna:雑誌・書籍の貸与権:スタート前の悲惨色々

Where is a Limit?:出版物貸与権管理センターは何処かの団体よりもぼったくり?

what's my scene? ver.6.1:書籍貸与の使用料の70%は管理に使われる

・で、CDVJの赤田理事による文章がこちら



まあ、要約すると、出版物貸与権管理センターの提案では、センターが徴収する貸与使用料280円のうち、著作権者のもとに届くのは80円に過ぎず、200円がその他の野郎の懐に入る。200円も管理センターが取るんだったら噴飯物だし、貸与権の対象にならない取次ぎや出版社の懐に入るのだったら奴らは業界の吹き出物だ、ってな具合。
難しいことは良くわからんのでシンプルに考えると、ユーザーが金を払うことで成立している業界が、ユーザーの不利益へとつながる改革を行うことで業績を回復しようとするという、その思考がよくわからん。
既に成立したレコード輸入権、書籍・雑誌貸与権はもちろん、公貸権、版面権、著作権保護期間延長、中古規制と、全部この思考っつうか方針っつうかに沿ったものであるわけで。
で、こないだ募集されていたパブリックコメントでの要望も多かったフェアユース規定については、文化庁の分科会では案件からすら外されてしまった様子(またもや試される。さん参照のこと)。
やる気ねえなあ、文化庁。
posted by 旅烏 at 22:17| Comment(4) | TrackBack(8) | 出版業界関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月05日

友成純一/ピーター・ジャクソン/ジョー・R・ランズデール/田中啓文/ワイドスクリーンバロック

友成純一の「獣儀式」を読了。スプラッタの偉い人という認識のみで、今まで友成純一氏の作品は読んだことなかったんだけれども、いや、おもしれーわ。
血しぶき、セックス、内臓、血しぶき、セックス、内臓、血しぶき、内臓、内臓。
神と悪魔が冥土から去ったせいであの世とこの世の境界が曖昧になり、地獄の鬼が現世に出没するという筋こそあるものの、まあ、ストーリーはあって無きが如し。もうひたすら血しぶき、セックス、内臓、血しぶ(ry
苦手な人は苦手だろうが、読んでる最中のカタルシスたるやものすごいものがある。
普段、あまりホラーとか読んだり観たりしないもので、あまり他の作品と比較できないのだけれど、あれだ、近いのは誰かなーと考えてみたんだよ。この読後感は、どっかで覚えがあったんで。

パっと頭に浮かんだのは、指輪物語で一山当てやがったピーター・ジャクソン監督の、知っている人は知っている傑作「ブレイン・デッド」。
ビデオのジャケットでは、ナースがなまめかしい感じで緊縛なんかされちゃってるんだけれども、本編にはナースは一切出てこないアレだ。
嗜好の限りを尽くして人体を解体しまくる様は実に楽しく……そう、スプラッタなんだけど、実に楽しいんだよ、この映画……画面の前で腹を抱えて笑うことも一回や二回ではきかない。
実にわかりやすく提示されている母性的なモチーフも素敵。
でも、ブレイン・デッドでは笑いが強すぎて、「獣儀式」の読後感とはちょっとずれる。

次はスプラッタ・パンクなるサブジャンルの大将格にされかけた暗い過去があるジョー・R・ランズデールの「モンスター・ドライブイン」(創元SF文庫より)。
なんや知らんが謎の現象でカーシアターに閉じ込められることになった人々が、いい感じに極限状況に追い詰められて、なんかモンスターとかも出てきていい感じに人間性剥奪されていく様を陽気に描いた快作。
短くて一気に読めるせいもあるんだろうが、実に爽快な読後感。
この爽快さってのは、殺戮と混乱がもたらすカタルシスも大きいんだけれども、最後まで揺るがない主人公の価値観によるところもまた大きく、この「最後まで人間性を尊重する主人公」ってのがランズデール作品に共通する特徴である(って、解説に書いてあった)。
言い換えると、その人間性を頼りに読者は読み進めていけるわけで、「獣儀式」にはそういった救いは存在しない。やっぱし、ちょっとずれるな。

で、思い至ったのが田中啓文。そうだそうだ! 「蹴りたい田中」だ!
駄洒落のためには人体はもちろん人間性とか小説としての構成とかいったものを叩き潰すその傍若無人っぷり。傍若無人! そうそう、それだ!

傍若無人つながりのほかに、もう一つつながるように思えるとこがある。豪快な風呂敷の広げっぷりがそれ。
「獣儀式」も、後半、すさまじい勢いで風呂敷を広げる。たたみ方なんて知ったことか。広げろ広げろ。
田中啓文作品にもそういったところがある。代表作でもある「人類圏」シリーズなどに顕著だろう。駄洒落と悪趣味のために人類とか生命とか銀河とかを軽ーく巻き込んでいく。
あとがきやらなんやらから察するに、田中作品における風呂敷ってのは、ワイド・スクリーン・バロックを志向したものだったりするんだな、これが。
ワイド・スクリーン・バロックって何かというと……さすがに私の手に余る。検索しとくれ。
キーワードはブライアン・W・オールディス、A・E・ヴァン・ヴォクト(ヴァン・ヴォート)、アルフレッド・ベスターと「虎よ、虎よ!」、バリントン・J・ベイリーと「時間衝突」「禅銃」「カエアンの聖衣」、クリス・ボイスとその傑作長編「キャッチワールド」ってなところでよろしく。
つーか、「キャッチ・ワールド」読めば事足りる。読んじゃえ読んじゃえ。


つーわけで、本人が意図したかどうかは知らないが、というかたぶん意図はしていないだろうけれど、「獣儀式」はワイド・スクリーン・バロックの称号を得るになんら遜色のない傑作だと言いたい訳ですよ。
posted by 旅烏 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(1) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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