初めに断っておきますが、問題の本質(というか二人の間で争点となっていること)については、迂回しますのでよろしくベイベー。
いや、これってねえ、起こったこと自体は実にシンプルだと思うのですよ。
・切込隊長、某サイトにムカついて批判。某サイト、いろんな人からの批判に耐え切れず閉鎖。
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・切込隊長、自分がその批判に加わっていたことを面白おかしくカミングアウト。
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・小倉弁護士、切込隊長のカミングアウトの様子にムカついて批判
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・切込隊長、あっさり切り返す
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・小倉弁護士、切り返すも論旨に綻び
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・切込隊長優勢のままうやむやに
うん、わかりやすい。
ややこしくなった原因はなんだろうと考えてみると、小倉弁護士の批判の仕方にあったのかな、などと。
とはいっても、小倉弁護士の理屈のどこそこがまずいだとか、そういったことを言うつもりかというとそうでもなかったり。
では何が言いたいのかというと、小倉弁護士が切込隊長を批判する上で「理屈」を使ったこと自体が失敗だったのではないかなと思うわけです。弁護士という職業柄かね?
出発点はある対象に対しての不快感であったと思うんですよ。切込隊長の場合は某記者サイトの言動に対して、小倉弁護士の場合は切込隊長のカミングアウトに対して。もちろん推測ですがね。
つまり、相手を批判する理屈より感情が先行していたわけで、こういう場合、理屈や論理というのはいつも有効という場合ではありません。
もっと正確に言うと、論理という道具自体に傷は無いのだけれど、それを扱う人間の方が偏りやすくなる。バイアスの陥穽に陥っちゃうわけで。
これはこの件における小倉弁護士に限ったことではなく、人が陥りやすい錯誤の好例ではないかなと思うんですわ。
その錯誤というのはつまり「私は○○にたいして不快感を感じる。であるならば、○○は論理的に間違っているに違いない」という奴。
経験的にいってそうであることのほうが多いでしょうが、どこまで行っても経験則であって、根拠なんざこれっぽっちもありはしないんですな、これって(笑)。
とはいえ、感情よりも理屈の方を先行させることができるかというと、それもまた難しい話で。
せめて「俺は今あれこれと理屈を捏ね回しているけれど、この根元の部分には感情が入り込んでいるのだ」という意識を常に働かせるよう、心がけていきたいものです。それがまた、バイアスに対する一番の対策にもなるでしょうしね。
付け加えると、相手に理屈の上では何の落ち度も無いことを認めた上で、それでもなお拭いきれない不快感を表明する。それでも十分な批判になり得るとも思うのです。
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