本屋のほんねさんで
来るべき100円の世界というエントリが掲載されていた。でね、どうも気になって仕方ないんだけども。
100円の本を好ましく思っていないというのはひしひしと伝わってくるのだけれども、何故好ましくないってことになるのか、それがなんかよくわからないのだな。
ええと、100円の本を導入するかどうかというのは、それに見合った収益が上げられるかどうか、ということだわな。100円の本を置くよりも、他のこういった本を置いた方が収益が上げられるというのなら、わざわざ100円の本を置くことなんかないし。
……なんかこれで話が終わってしまった感がしないでもないのだけれど、話を続ける。
気になるのは、本屋のほんねさんの使っていた「薄利多売」「粗製濫造」というキーワードなんだわ。
少々意地の悪い言い方をすると、出版というのは既に「薄利多売」で「粗製濫造」な状態に陥っているともいえるんじゃないかなと思うんだわ。
だってさ、本屋に入る利益が少ないってのは良く聞く話だし、そのうえベストセラー依存体質で、新刊の発行点数はストップ高って、これが薄利多売で粗製濫造じゃなくてなんだって言うのさ(笑)。
今更100円本くらいで何言うとんねん。「安い本」というニッチを埋めているだけのことじゃないか。
でもそんな中でも生きていかなければいけないわけで、じゃあ、どうすれば生活が楽になるのだろう。
っていうか、そのためにはそもそも流通のしくみを変えてもっと収益の上げやすく、かつ無駄な在庫を印刷しないようにしていくような仕組みを模索していかなければいけないなんていうのは、実は結構たくさんの人が思っていることだと思うんだ。
そこに目を瞑って、100円本やコンビニ向けの本のことを「粗製濫造」「薄利多売」と非難していくのは、的外れな八つ当たりでしかない。
繰り返しになるけれども、実際に店に100円の本を導入するかどうかは、それでより利益を上げることが出来るかどうかってなことになってくるので、「粗製濫造」やら「薄利多売」やらといった話とはまた別次元の話になる。
であるから、今書いているこの文章は「新刊書店が100円の本を導入しないこと」を批判するものではないので、そこのところはくれぐれも。
追記:「ただでさえ粗製濫造の気があるところに、さらにその傾向を加速させるような商品を投入しても仕方あるまい」みたいな理屈なのかな? それならなんとなくわからないでもない。