2005年10月31日

本を捨てる日

商品が余ってしまったらどうするか。
まあ、安くして売るしかないわけである。返品が出来るわけでもなし。
では、安くしても売れなかったらどうするか。
アピールが足りなかったのかなと思って、安くした余剰商品を一生懸命プッシュするわけだ。
それでもなお余ってしまったら、ことによると在庫が増え続けてしまっていたらどうするか。
もう処分するしかない。捨てるしかない。


以上、新古書店での話であり、余ってしまった商品とはベストセラーのなれの果てだ。
今日はこれから休日を返上して、捨てるべき商品を選別しに行くわけだけれども、正直、心中は少しだけ複雑である。
売上を増やそうと思ったら、商品を充実させねばならない。そのためには、買取数量を増やすのは必須である。あの手この手、様々な取り組みで在庫量を確保していく。
そして成果が出ると、当然それ以上の売上を目指さなければならない。売上を増やそうと思ったら商品を充実させねばならず、そのためには買取数量を増やすのは必須であり、それでまた成果が出ると……以下、同じように続いていく。
まあ、新古書店が取っているビジネスモデルが行きつく、必然的帰結なのかなとは思う。もっと良い方法はないかなと考えてみることはあるけれど、妙案が浮かんだことはない。
じゃ、捨ててきます。
posted by 旅烏 at 07:25| Comment(13) | TrackBack(6) | 出版業界関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月29日

活字文化振興におけるネガティブなフレイヴァー

元フリーター編集者の出版日記さんから活字文化振興について書いたエントリをTBいただいたので、これを機会に活字文化振興とやらについて思っていることなんぞを書いておこうかという次第。


まあ、読み書きや文章読解力は大事なものなので、それを強化しようという話があったとしたらその動きは悪いことではないとは思うんだけど、それと「本を読む」ことはイコールではないなあと思ってみたり。本を読む人はみんな話のわかる人かというと、別にそんなことはないしね。私含め、アホな読書家というのは掃いて捨てるほどいるわけだし。


それとはまた別に、本ってのはいいものだからもっと積極的に打って出ようというキャンペーンもいいことだと思うわけで。
ただ読売のやってる21世紀活字文化プロジェクトってのはかなり胡散臭い感じで見ていたりするんだが。


で、こちらがそのプロジェクトのページ。恐いので見出しは載せませんよ、と(笑)。
プロジェクトの趣旨説明の文章が載っているのだけれど、一部引用すると


 若者を中心に活字離れ現象は深刻さを増しています。このままでは次世代の思考力や創造力の低下、ひいては人間力の衰退につながりかねません。活字文化のさらなる発展が急務です。



「人間力ってなんじゃい」とか、そういったことはさておき、これってねえ、いかがなものかと思うんだよ。この一節なんて、完全に危機感を煽るために書かれているでしょ。
リンク先の全文を読んでみても、どこにも出版文化の残してきた素晴らしい実績や、本はこんなに素晴らしいとか、ポジティブな面が何一つ語られていないわけ。
いや、プロジェクトにおいては、そういった読書の楽しさを伝えるといったポジティブなこともやっているようだけどさ。


例えば、あなたが「本をもっと普及させるためにキャンペーンをやりたいんだけど」と誘われて、こういった設立趣旨の策定にもかかわったとしてさ。
「読書というのは素晴らしい体験だ。昨今はいろんなメディアも登場しているけれども、この素晴らしさを改めて多くの人に拡げていきたい」
とポジティブにやった方が、リンク先の読売のプロジェクトみたく
「最近読書する人が減ってきてる。このままだと次世代がマジヤバイので、活字文化を再興させるのが急務です。いや、マジヤバイってば」
とネガティブに危機感を煽るよりもずっと心証良くないかい?
広く一般に働きかけるプロジェクトであるからこそ、そういった心証の部分は重要になると思うわけで。そんなところからも、なんか感覚がずれてないかなといらん心配を……いや、心配はしてないな。これっぽっちも(笑)。巨人も読売もナベツネも好きじゃないしな。


ちなみに、プロジェクト内で活字文化推進委員会っつうのが組まれているらしく、こちらがその名簿
既存のお偉い方が雁首そろえているような印象がありますな。
もうネガティブなやり方しか思いつかなくなっちゃってるんだろうな。失礼ながら、少々可哀想ですらある。推進委員長が活字の独自性をアピールしようとして見事に失敗しているあたりなんざぁ、涙を誘うね、もう。
posted by 旅烏 at 12:37| Comment(16) | TrackBack(5) | 出版業界関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

百家争鳴が望ましいのかなと思う

先日、のべるのぶろぐさんでの連載記事を取り上げさせていただいたけれども、その2回目がアップされた。こちら(1回目は「序章」だったので、今回が第1章になります)。
いや、実は読んで少々違和感を覚えたんだわ。異論があるとかそういったことではないんだけれども。あれ? 小野不由美どこいったの? みたいな感じで。
考えてみるに、のべるのぶろぐさんでは「ライトノベルは従来文庫の形で多く刊行されてきた。しかし、ノベルズでの刊行やハードカバーへの進出など、文庫以外の形にも進出していくことでそのフィールドを広げようとしている」ということを論じようとしていると思われ、それをライトノベルの「越境」と表現した。で、私はといえば「越境」と聞いて版型のみならず、読者層の拡大とかそういったことを連想したわけですよ。で、ライトノベルからクロスオーバーにヒットした小説でパッと思い浮かんだのが「十二国記」なわけで。
てなことを考えていたら、のべるのぶろぐさんにTBをうたれているPrivate Windowさんで、ライトノベル系文庫から一般向け文庫への「文庫落ち」が既に論じられていた。そのエントリはこちら。うんうん。


ここで大切なのは、誰の論が間違っているとか、どっちが正しいとか、そんなのは重要じゃないということ。
以前、ライトノベルにおける批評(というか、シーンを概観する作業だな)を「地図作り」と表現して、かつてSF小説がそれで失敗した例を挙げ、同じ轍を踏まないといいなあなんて書いたことがあったけれども(そのエントリはこちら)より具体的に言うと、SFにおいてはある特定の(もしくはどれをとっても似たような)シーンというものがファンの間で支配的になってしまい、そのシーンの外側の才能や「いや、こんな見方もある」という異論がマイナーなものに留まらざるを得なかった。その結果、業界から読者から、なにからなにまで視野狭窄を起こしてしまったんじゃないかってのがあるわけですよ。(もっと具体的に言うと、どの媒体、どの雑誌を読んでも、同じような面子がSF小説に関する文章を書いているわけだから、必然の帰結であったのかなと思う。この構図は今も根強く残っているしね)。
だから、ライトノベルシーンの現状について、ある共通認識が出来上がってしまうということについて「それは悪影響も大きいんじゃない?」という危惧があったんだわ。。
しかしだ、このエントリを書いたときに大きな点を見逃していたことにさっき気がついたのよ。そうね、SFが大失敗した頃と違って、今ってネット社会なのよね。


つまり、ある事柄のシーンを概観しようと思ったら、昔はそれこそブックガイドや雑誌・評論書といった出来合いのものを頼りにするか、数少ない同好の士が集まって馬鹿話しながらダベるくらいしかなかったのが、今は多くの人が自分描くシーンを提出できる状況になっていたのね。それを忘れていた。
そういった中では、ある特定の見方が大勢を占めてしまう危険性は以前に比べてずっと減っているんじゃなかろうか。なんだ、じゃあ心配ないじゃん。と。
逆に言うと、ある見方が大勢を占めてしまったらそれが危険信号ともいえるんじゃないかと思う。
そういった意味で、のべるのぶろぐさんの論に対して異なる観点の論が出てきているのはとても健全なことであると思うし、既存の批評本において示されているシーンの図式っつーのにも権威を持たせてはいけないと思う。あれか、こんなところにも「既存のメディアに対するカウンター」が必要かなと(笑)。
posted by 旅烏 at 11:44| Comment(19) | TrackBack(17) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月22日

商品知識

いや、昨日入社4ヶ月目の新人さんと一緒に、文庫本の差込POPメンテナンスをしてたんですよ。
「わからないのがあったらここに置いておいてくださいね。あとで見てみますんで」とか言いながらね。
で、まあまだ売場に不慣れなこともあるんだろう、「わからない」POPが時とともにどんどんと増殖していくわけですが。


その中で一際光を放つ「アガサ・クリスティ」の差込。


マジか? ミステリの女王だぜ? 女王といえば「エラリー・クイーン」の差込もわからないPOPの中に入っていてそれもブルーなんだけども、女王だぜ? ポアロだぜ? デイヴィッド・スーシェだぜ? 里見浩太郎だぜ? 水戸黄門だぜ? 東野英治郎だぜ? 東野英心だぜ? あばれはっちゃくだぜ?
お前の商品知識のなさにゃあ、父ちゃん情けなくて涙でてくらぁ。
posted by 旅烏 at 08:43| Comment(40) | TrackBack(6) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月20日

衰退とジャンルであることとジャンルではないこと

のべるのぶろぐさんで、「越境」するライトノベル:序章という連載が始まった。ライトノベルに興味を持ちつつ(いや、一応ロードス島世代だし)、何冊か購入するも積読の山っつうか山脈で遭難しかけている私。なにかしら勉強できるんじゃないかなと楽しみにしていたり。


で、読み進めていくと

 ライトノベルが批評されることで衰退していくのではないか、かつてのSFと同じ道を歩んでいくのではないか、と心配する向きもいる。だが私はそれを杞憂と断じる。なぜならライトノベルはジャンルではない、ゆえに閉塞はしない。あらゆるジャンルを自由に渡り歩き、貪欲にあらゆる要素を取り込んでいく。たとえ外からの目にさらされ、定義の枠を嵌められようとしても、ライトノベルの渾沌はそんな外圧など跳ね返すだろう。一ライトノベルファンとしてそう信じる。


かつてのSFと同じように衰退していくのではないかというあたりは、私もちょっと前に同じようなことを書いた。こちらがそのエントリ。やっぱり、他にも似たようなことを考えてる人がいるんだね(笑)。
ファンがそういった見方を杞憂だと前向きに一蹴してしまえる、そういう状況は実に好ましいというか、幸せなことだと思う。いや、本当に(ただ私、ライトノベルには本当に詳しくないので、そういった読者が多数なのかどうかすらわからないんだけどね)。
ただ、ライトノベルがジャンルではないから閉塞はしないってのは、まあ、あまり関係ないだろうなとは思ったりする。SFというジャンルがかつて元気なくなってしまったのは、SFがジャンルであったことが直接の原因だとは思わないので。ジャンルではないものがいわゆる「浸透と拡散」を起こしたらどうなっちまうんだろうとか、結果として特定の出版社・特定の作家にしか目が行かなくなるという、かつてのSFと同じ視野狭窄を起こすんじゃないかとか、そういったことはSFがジャンルであり、ライトノベルがジャンルではないこととはあまり関係ないだろうな、と。
でも、ライトノベルの場合は次世代の作家の発掘という、SFが一番ダメダメだった部分(笑)をしっかりとやっているわけで、その分持続するパワーも凄いだろう。そのパワーでこんな杞憂は跳ね返してしまう可能性も十二分にあるのかな。
ただ、どんな市場であろうとパイは限られているわけで。新しい才能はきっと無限に出てくるけれど、ライトノベル市場は無限じゃない。いつかはライトノベルも、今とは違ったやり方を取らなきゃいけないターニングポイントが来るんだろうなあ、きっと。
なんか良くわからない文章になったけれど、一読者として楽しみにしているので、のべるのぶろぐさんにTBをうたせていただくことにいたしましょう。
posted by 旅烏 at 07:48| Comment(15) | TrackBack(7) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

急いでコーナーを作りましたとも

なんか、マンガ家の末次由紀氏の作品が回収・絶版という騒ぎになっているらしい。わーお。大変大変。
いや、作品についても騒動についても良く知らないんだけども。
絶版ですよ?
もう本屋さんでは買えないという事ですよ?


つまり古本屋でしか買えないわけで、売上アップのチャンスなわけで。
早速、末次由紀作品を集めてコーナーを作ってみました。いや、ウチ新古書店だし。絶版関係ないし。需要あるだろうし。近くにスラムダンクも並べようと思ったら、スラムダンクの在庫が少なくて無理だったりしたわけだけれども。
今日だけで何冊か動いていたので、週末には売切れるくらいの勢いを期待。
posted by 旅烏 at 07:10| Comment(37) | TrackBack(13) | 出版業界関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月01日

変な数字ですこと

試される。さん及びWhere is a limit?さん経由、ITmedia+D LifeStyle:「iPod課金」――実現したら1台あたり400円プラス?より。文化庁文化審議会著作権分科会 法制問題小委員会が9月30日に行われて、私的録音・録画補償金のパブリックコメントの中間結果なども踏まえて論点の再整理が行われたそうだ。
日本音楽著作権協会と日本芸能実演家団体協議会と日本レコード協会が「ハードディスク内蔵型録音機器等による私的録音から著作権者・著作隣接権者が受ける経済的な影響」という資料を出してきたんだけれども……これがとんだお笑い種でね。しょうもねーったらありゃしねえ。
まあ、詳しい「計算式」(そう、計算式出してきやがったのよ(笑))はリンク先の記事を読んでいただくとして、この3団体の資料を私流に要約すると

「iPod等のハードディスク内蔵型(含むフラッシュメモリ)での複製を、個別課金にしたばあいは485億円、私的録音補償金の対象に含めた場合には18億円儲かります」

という具合になる。なんつーか、この数字を出してきた意図がわからん(この計算式自体も、かなり変だけどね)。
会話にするとこんな感じだ。


「補償金が減ってきてますから、iPodなんかからもお金を取れるようにしてくださいよ」
「でも、いろいろ問題があるよねぇ」
「いや、お金を取れるようにしてもらえれば、これだけ儲かるんですってば」



説得力も何もあったもんじゃないっしょ?(笑)
金の2重取りになるんじゃないかとか、権利者が受ける不利益ってどのくらいなんだよとか、現行の制度がそもそも破綻しているんじゃないかとか、そういった問題は全部すっ飛ばして「これだけ儲かりますよ」と言われてもなあ。馬鹿にされてるんだなあ、やっぱり。
順序としてはまず、「iPod等からお金を取れなかった場合、これだけの利益の損失がでます」というのを示して、その後に「でも、iPodからもお金が取れるようになればこんな感じでその損失を埋めることが出来ます」とやらなきゃ駄目だろうに。
前者をすっとばして「これだけ儲かります」ってさ、これで誰か納得する奴いるのか? というか、これで誰かを納得させられると思ってるのか?

うん、やっぱり馬鹿にされてるんだよ。
posted by 旅烏 at 14:47| Comment(35) | TrackBack(19) | 音楽業界関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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