2005年10月29日

活字文化振興におけるネガティブなフレイヴァー

元フリーター編集者の出版日記さんから活字文化振興について書いたエントリをTBいただいたので、これを機会に活字文化振興とやらについて思っていることなんぞを書いておこうかという次第。


まあ、読み書きや文章読解力は大事なものなので、それを強化しようという話があったとしたらその動きは悪いことではないとは思うんだけど、それと「本を読む」ことはイコールではないなあと思ってみたり。本を読む人はみんな話のわかる人かというと、別にそんなことはないしね。私含め、アホな読書家というのは掃いて捨てるほどいるわけだし。


それとはまた別に、本ってのはいいものだからもっと積極的に打って出ようというキャンペーンもいいことだと思うわけで。
ただ読売のやってる21世紀活字文化プロジェクトってのはかなり胡散臭い感じで見ていたりするんだが。


で、こちらがそのプロジェクトのページ。恐いので見出しは載せませんよ、と(笑)。
プロジェクトの趣旨説明の文章が載っているのだけれど、一部引用すると


 若者を中心に活字離れ現象は深刻さを増しています。このままでは次世代の思考力や創造力の低下、ひいては人間力の衰退につながりかねません。活字文化のさらなる発展が急務です。



「人間力ってなんじゃい」とか、そういったことはさておき、これってねえ、いかがなものかと思うんだよ。この一節なんて、完全に危機感を煽るために書かれているでしょ。
リンク先の全文を読んでみても、どこにも出版文化の残してきた素晴らしい実績や、本はこんなに素晴らしいとか、ポジティブな面が何一つ語られていないわけ。
いや、プロジェクトにおいては、そういった読書の楽しさを伝えるといったポジティブなこともやっているようだけどさ。


例えば、あなたが「本をもっと普及させるためにキャンペーンをやりたいんだけど」と誘われて、こういった設立趣旨の策定にもかかわったとしてさ。
「読書というのは素晴らしい体験だ。昨今はいろんなメディアも登場しているけれども、この素晴らしさを改めて多くの人に拡げていきたい」
とポジティブにやった方が、リンク先の読売のプロジェクトみたく
「最近読書する人が減ってきてる。このままだと次世代がマジヤバイので、活字文化を再興させるのが急務です。いや、マジヤバイってば」
とネガティブに危機感を煽るよりもずっと心証良くないかい?
広く一般に働きかけるプロジェクトであるからこそ、そういった心証の部分は重要になると思うわけで。そんなところからも、なんか感覚がずれてないかなといらん心配を……いや、心配はしてないな。これっぽっちも(笑)。巨人も読売もナベツネも好きじゃないしな。


ちなみに、プロジェクト内で活字文化推進委員会っつうのが組まれているらしく、こちらがその名簿
既存のお偉い方が雁首そろえているような印象がありますな。
もうネガティブなやり方しか思いつかなくなっちゃってるんだろうな。失礼ながら、少々可哀想ですらある。推進委員長が活字の独自性をアピールしようとして見事に失敗しているあたりなんざぁ、涙を誘うね、もう。
posted by 旅烏 at 12:37| Comment(16) | TrackBack(5) | 出版業界関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

百家争鳴が望ましいのかなと思う

先日、のべるのぶろぐさんでの連載記事を取り上げさせていただいたけれども、その2回目がアップされた。こちら(1回目は「序章」だったので、今回が第1章になります)。
いや、実は読んで少々違和感を覚えたんだわ。異論があるとかそういったことではないんだけれども。あれ? 小野不由美どこいったの? みたいな感じで。
考えてみるに、のべるのぶろぐさんでは「ライトノベルは従来文庫の形で多く刊行されてきた。しかし、ノベルズでの刊行やハードカバーへの進出など、文庫以外の形にも進出していくことでそのフィールドを広げようとしている」ということを論じようとしていると思われ、それをライトノベルの「越境」と表現した。で、私はといえば「越境」と聞いて版型のみならず、読者層の拡大とかそういったことを連想したわけですよ。で、ライトノベルからクロスオーバーにヒットした小説でパッと思い浮かんだのが「十二国記」なわけで。
てなことを考えていたら、のべるのぶろぐさんにTBをうたれているPrivate Windowさんで、ライトノベル系文庫から一般向け文庫への「文庫落ち」が既に論じられていた。そのエントリはこちら。うんうん。


ここで大切なのは、誰の論が間違っているとか、どっちが正しいとか、そんなのは重要じゃないということ。
以前、ライトノベルにおける批評(というか、シーンを概観する作業だな)を「地図作り」と表現して、かつてSF小説がそれで失敗した例を挙げ、同じ轍を踏まないといいなあなんて書いたことがあったけれども(そのエントリはこちら)より具体的に言うと、SFにおいてはある特定の(もしくはどれをとっても似たような)シーンというものがファンの間で支配的になってしまい、そのシーンの外側の才能や「いや、こんな見方もある」という異論がマイナーなものに留まらざるを得なかった。その結果、業界から読者から、なにからなにまで視野狭窄を起こしてしまったんじゃないかってのがあるわけですよ。(もっと具体的に言うと、どの媒体、どの雑誌を読んでも、同じような面子がSF小説に関する文章を書いているわけだから、必然の帰結であったのかなと思う。この構図は今も根強く残っているしね)。
だから、ライトノベルシーンの現状について、ある共通認識が出来上がってしまうということについて「それは悪影響も大きいんじゃない?」という危惧があったんだわ。。
しかしだ、このエントリを書いたときに大きな点を見逃していたことにさっき気がついたのよ。そうね、SFが大失敗した頃と違って、今ってネット社会なのよね。


つまり、ある事柄のシーンを概観しようと思ったら、昔はそれこそブックガイドや雑誌・評論書といった出来合いのものを頼りにするか、数少ない同好の士が集まって馬鹿話しながらダベるくらいしかなかったのが、今は多くの人が自分描くシーンを提出できる状況になっていたのね。それを忘れていた。
そういった中では、ある特定の見方が大勢を占めてしまう危険性は以前に比べてずっと減っているんじゃなかろうか。なんだ、じゃあ心配ないじゃん。と。
逆に言うと、ある見方が大勢を占めてしまったらそれが危険信号ともいえるんじゃないかと思う。
そういった意味で、のべるのぶろぐさんの論に対して異なる観点の論が出てきているのはとても健全なことであると思うし、既存の批評本において示されているシーンの図式っつーのにも権威を持たせてはいけないと思う。あれか、こんなところにも「既存のメディアに対するカウンター」が必要かなと(笑)。
posted by 旅烏 at 11:44| Comment(19) | TrackBack(17) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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