で、これがそのエントリー。元祖しゃちょう日記:ブックオフとamazonが再販制度を変えたように音楽も。
皆さん、お読みください。
……読んだ?
納得した?
私は、何箇所か引っかかるところがあって、なんか釈然としないものが残ったんだけども。
まずはタイトルの「ブックオフとamazonが再販制度を変えたように」ってのが、まずひっかかるというか事実と違うというか、amazonや新古書店が変えたのは消費者のスタイルであって、再販制度は何も変わってないよなあ。
とはいえ「変えたように」じゃなくて「変えつつあるように」だったら、それでOKな話なんで、些細なことでありますが。
で、ひろゆき氏の言うように、新古書店で本がワサワサ売れているかというと、それは隣の芝生は青く見えるという奴で、そんなにワサワサ売れている気はしないなあ、と。
新古書店でも既存店ベースで見ると、本の売上は前年比割ってますって店舗の方が圧倒的に多いんじゃなかろうか。CDもしかり。
もひとつ、amazonが古本の取り扱いを始めたってのを「近視眼的」と表現しているんだけれども、それは真に近視眼的なものであるか否か。
実はこれ、かなりタブーブレイキングなことじゃない? 一部の新古書店で新刊の雑誌を置いていたり、紀伊国屋を初めとする一部の新刊書店ととふるほん文庫やさんが提携したりって事例はあるにしても、新刊と古本を同時に取り扱うというのは一般的な業態というには程遠いってのが実情でしょ。
でも、使う側にしてみれば、両方取り扱っていた方が便利なわけでさ。
で、さらに進めると、アレだ、出版業界を支配しているのは誰かっつうと、実はこの点の認識が私と他の人との話がかみ合わない原因(のひとつ)だと思うんだけどさ、支配してるのは消費者、ユーザーだと思ってるんだよ、私。出版社でも小売でも著作権者でもないと思ってるんだ。
プロのクリエイターが一般に向けて創作物を提供・公開しているんだっていう考え方は根強いものがあると思うんだけど、実際のところ、現実はそれを当の昔に追い越してしまっていてさ。主導権はとっくに逆転しているんじゃないかと(消費者に媚びることがいいことかどうかってのは別の話だ)。2chなんてその典型だわな。
曰く「本や音楽が潰れてしまって楽しめなくなっても良いのか?」ってなことを言う人、割といるけれども、消費者にそっぽを向かれた業界が衰退へ向かうのは至極当然のことで。
逆に言うと、ある業界が潰れるってのが、どこまで徹底的に消費者にそっぽを向かれた結果生じる状態であるのか。
なんかうまく言えないんだけども、そこまで徹底的に愛想を尽かされた業界だったら、んなもん潰れて当然だろっていう感覚があるわけですよ。
レコード輸入権のゴタゴタでは、山下達郎氏の、レコード会社は潰れても音楽は残るって名言があったわけですが、これ、書籍にも映像にもことによったらゲームにも当てはまる話でございましてね。
もちろん、市場規模が縮小すれば地方と中央の格差ってのが偉いことになるだろうし、著作物を楽しむってのが一部の変わり者の趣味になったりするんだろうけども、それでも残るだろうと。
大体さあ、消費者の支持を失った結果消えていった文化なんて掃いて捨てるほどあったはずだぜ? 著作物がそうであってはならない理由なんてなにもない。
というか、著作物がどんなに重要で貴重でかけがえの無いものであっても、本質的には消えてしまうことがありえるものだと思っているんだよ、俺。
著作物が消えてしまうという事態が訪れたとしたら、それはきっと消費者の選択、又の名を時代の流れってやつだ。「著作物」っつー代物が時代に取り残されたっつーこった(「古代から現代まで生き残っている古典も多いじゃないか」だって? そういった古典は時代に取り残されていたとでも?)。
だとしたら、著作物が生き残るためになすべき努力は時代に取り残されないことであって、再販制度や著作権にしがみつくことじゃねえやな、と。
音楽配信やら再販制度への疑問やら著作権の権利強化への反発やらネット書店とリアル書店の比較考察なんてのは、「あんたら、時代に取り残されかけているんと違うか?」という指摘としても捉えられる。
……随分ダラダラと取りとめも無く書いた結果、ひろゆき氏のエントリが途中でどっかに飛んでっちまったわけですが。
要はアレですわ、amazonが古本を扱わないことが日本の文化の育成につながることなのか、古本を扱うことが日本の文化の育成を妨げることなのかって言ったら、んなアホなこたあねえだろ、と。
「消費者のスタイルってのは『文化』の内には入れちゃあもらえないのかい?」とも言えるな。