このBlogは元々やっていたサイト(今は放置状態ですが(笑))の日記として始まり、レコード輸入権の問題をしつこく追っていたりしたおかげで、零細ながらも見ていただける方も増えたわけだけども、その輸入盤問題華やかなりし5〜7月ごろ、私個人はというと金銭的にも精神的にもかなり危機的な状況だった。
なんのこたあない、会社を辞めて失業状態だったのである。
就職活動は自分の思うようにはいかず(当たり前だ)、貯金も底の方が見えはじめた。そうすると不思議なもので、無力感というか、「ああ、俺ってダメダメ」というか、自分が無価値であるような感じがしてくる。極々親しい知人(愛してるよ)の言葉に何度助けられたかわからない。就職が決まるのがあと半月遅かったら、私は住む家を失っていたかもしれないし、現在も非常に折り合いの悪い親のもとに戻ってニートになっていたかもしれない。どっちに転んでいたかはわからないけれども。
両親に感謝はしているんだが、堂々と「折り合いが悪い」なんて書いてしまう私は大変な親不孝者だな。
さて、社会に出て最初に就職した先というのが某ホームセンターだったんだが、これが非常に離職率の高いところで、厳しい労働条件に同期・後輩・先輩問わず、みんなどんどんと辞めていった。
このときの私の目標は「生きのびる」であった。いや、過労死した人とか失踪した人、入院した人とかもいたんだって。
あの会社にいた日々というのは、文字通りの意味でサバイバルだった。「競争」ではなくて「生存」。
結局4年半ほど勤めたところで体を壊したこともあり会社を辞め、その当時の転勤先であった京都に居座って就職活動。新古書店に入社し楽しく仕事をしていたんだけれど、社長とものすごくそりが合わず、というか、大喧嘩をやらかして二度目の失業。これが今年の三月。
同じ業種の会社に再就職できたのは、本当に幸運だった。
で、私の現在の目標はといえば、やっぱりあいも変わらず「生きのびる」であったりする。
地元でもなんでもない京都の地で一人暮らししながら就職活動というのは、やはりそうそううまくはいかないものでね。専門職の経験もないし、腕に技もないしな。
現在、なんとか屋根のあるところでこうやってPCに向かい合っていられるご身分でいるけれども、これは本当に僥倖というべきでね。二度の失業というのは、自分がホームレスまであと一歩であったことや、ニートとなる素質十分であることなども嫌というほど自覚できる経験だった。
私に起こったことは、あなたにも起こり得るかもしれないし、もう起こっているかもしれない。今の世の中、失業や転職なんて珍しくもないしね。
話は変わる。
私、社会学には明るくないのだけれど、どこぞで日本社会の階層化が進んでいるなんて話を小耳に挟んだ。
あれだ、暗いニュースリンクさんとか読んでいる人は聞いたことあるんじゃないかな、「アメリカでは中産階層が絶滅に瀕し、社会が金持ちと貧乏人に二分化されている」って奴だ。あれが日本でも進行中なんじゃないかってな話。
言い方を変えると、「生きのびる」ってのが目標になる、そんな人たちがどんどん増えていく社会になるってな話だ。
私もいつのまにか「大人」ってな年になり、子どもをどんな風に社会に送り出したら良いのか考えなきゃいけないようになってきた。「生きのびる」が至上命題となっている、そんな社会にどんな声をかけて子どもを放り出しゃあいいのか。
いや、答えなんかでないんだけどさ。
出ないんだけど、やっぱり成功した経験というのがポイントになるのかなあと漠然と思ったりする。自分で何かに打ち込んで何かをやり遂げたという経験。
で、これは必ずしも学校が提供する類のものでもないだろうなあ、とも。
ただ、十人十色、人間、どんなことに興味を持つかなんてわからないわけで、いろんな知識や経験に広く手出しが出来るようにすることで、その手助けは出来るのかもしれない。「広く手出しが出来る環境作り」は大人の仕事なんだろうな。
ここいらへん、「創造のサイクル」とかいった意味で貸与権・公貸権・中古規制ともリンクしてくる話だったりするんだが、まあ、今は深追いするのはやめておきましょう。本当、ややこしい話だねえ。きっと答えなんか出ないんだけどさ。
> 成功した経験というのがポイントになるのかなあと漠然と思ったりする。
これは僕も本当にそう思います。「俺はこれが得意だし、好きだ」っていう小さいころの経験ってホントに他には得難いもので、そういうのがあるとやっぱり人生辛くても前向きになれると思います。
なにかそういうものをひとつ発見してやれば、後は子供って勝手に育っていくのかなー、とのんきに考えてます。
ここらへんややこしく、答えなんかあるのかわかりませんが、成功経験は大人になってからも積むことが出来るし、それもまた重要だろうなあと思ってみたり、そういうものを大人が発見してやるというより発見することが出来やすくするということなのかなあなどと、やっぱり考えはまとまらなかったりいたします。
成功経験は諸刃の剣であったりしますね。
僕の会社にも様々な「過去の栄光」を背負ったまま来ちゃってる人々を多く見かけます。
いわゆる「頑張ればなんとかなる」世界に生きてきた人たちです。
自分の成功体験が全ての事柄に敷衍できると思ってしまう罠にはまり込んでしまえば、プライドをズタズタにされたまま、去っていく羽目になりますね。
成功体験が一般化できるなら、ほりえもんの著作を読んだビジネスマンはみんな億万長者になれる、ということになりますな。
僕も転職経験があるので良く分かるのですが、あの一旦「全ての仕事に対する自分の価値観や評価がリセットされる瞬間」、というのはあまり良い気持ちのものではないですね。
当然、人生の中でおのおのそれに即したステージがあり、その中での「成功」もまた意味するところが変わってくるわけですな。
僕としては、その「価値観の違い」が認識できていけるかどうかが重要なんじゃないかと思ってしまうわけで。
僕なんかだと子供に「生き抜くためには、空気読めよ」なんて夢も希望も無いこと言ってしまいそうですが(笑)
もっとも、実際の所、その場その場でのベストを尽くすしかないんじゃないのかと。
センスとか人間性とかそういった全ての事柄は、全てほかならぬ自分自身で磨くしかないですからね。
ほんともうそれしかないんじゃないかと思ったりもするんですけどね。
えっと、
私も、ニートについては、色々と考え込んでいますけど、
上手く考えがまとまらないですねー。
でも、
私も「他人事じゃないなぁ」って実感だけは、あります。
バイオの研究者って「手に技術」こそありますけど、
それって全然、潰しのきかない技術だなぁって思っていますし・・・
成功体験・・・なんとなく思うのは
「成功体験にも色々あって、
どういう「成功体験」が必要かは人それぞれ」
って気がします。
あんまし、教訓にもならない話ではありますね・・・
scifighterさん>ほりえもん云々については、他人の成功経験ですからまあともかくとして、ある場面で自分の成功経験を活かすことができるかどうか(また、場面場面に応じて、その場に適した過去の経験を応用できるかどうか)というのも、広い意味での社会的スキルなのかもしれませんね。
それがまた「その場その場でベストを尽くす」ときに各人が取る方法にもかかわってくるのかな、などと。
めたかさん>成功経験云々についてはscifighterさんへのコメントと重なってしまいますので省略させていただくとして。
私自身ニートに関することなどを考えていてどうにもこうにも袋小路に入ってしまうのは、ニートというのが決してなくなることのない、というか、必然的に一定数生じてくるものなのではないかという点です。
まあ、ある社会が抱え込むことの出来る就業人口が限られている以上、無業者というのも一定数生じるものだろう、と。
もちろん、ニートと呼ばれる社会的地位にある人全員が自分のことをネガティブに捉えていることなんて無いでしょうし、ハッピーにやっている人も少なくないのでしょうが(そして、それはそれで結構なことだと思います。ちょっと羨ましくもあるし)、そんな自分をネガティブにとらえてしまったり、経済的に追い詰められてしまう人もいるでしょう(特に後者、これから増えていくでしょうね)。
それが割り切れないというかなんというか、うーむ。
そういった人が一定の割合で必ず存在すると思うと、なんとも口惜しくなってきます。我ながら傲慢もいいところなんですが。