2005年11月01日

太陽レンズの彼方へ マッカンドルー航宙記

チャールズ・シェフィールドの「太陽レンズの彼方へ マッカンドルー航宙記」(創元SF文庫)を読んだ。
天才物理学者にして無垢な変人マッカンドルー博士と、その恋人にしてよき相棒にして管理人にして宇宙船のベテラン船長ジーニー・ローカーが、宇宙の謎を探るため、いろいろ駆け巡ったり巻き込まれたりする連作短編集。前作の「マッカンドルー航宙記」が翻訳されたのが1991年とのことなので、お久しぶりというかなんというか。まあ、定本の本国での刊行も2000年とのことなので、向こうでも似たような状況だったのかも。ただ、本国ではシェフィールドの作品自体はコンスタントに発表されていたというのは大きな違いだけれど。
驚きとかはないのだけれど、安心して読めるハードSF。巻末に作者自らによる科学解説もついているあたりは、科学者作家の面目躍如か。
ちょっと食い足りない気もするけれど、この後には歯ごたえ抜群であろうR・A・ラファティ「宇宙舟歌」が待ち構えているので、丁度いいのかも(笑)。
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2005年10月29日

百家争鳴が望ましいのかなと思う

先日、のべるのぶろぐさんでの連載記事を取り上げさせていただいたけれども、その2回目がアップされた。こちら(1回目は「序章」だったので、今回が第1章になります)。
いや、実は読んで少々違和感を覚えたんだわ。異論があるとかそういったことではないんだけれども。あれ? 小野不由美どこいったの? みたいな感じで。
考えてみるに、のべるのぶろぐさんでは「ライトノベルは従来文庫の形で多く刊行されてきた。しかし、ノベルズでの刊行やハードカバーへの進出など、文庫以外の形にも進出していくことでそのフィールドを広げようとしている」ということを論じようとしていると思われ、それをライトノベルの「越境」と表現した。で、私はといえば「越境」と聞いて版型のみならず、読者層の拡大とかそういったことを連想したわけですよ。で、ライトノベルからクロスオーバーにヒットした小説でパッと思い浮かんだのが「十二国記」なわけで。
てなことを考えていたら、のべるのぶろぐさんにTBをうたれているPrivate Windowさんで、ライトノベル系文庫から一般向け文庫への「文庫落ち」が既に論じられていた。そのエントリはこちら。うんうん。


ここで大切なのは、誰の論が間違っているとか、どっちが正しいとか、そんなのは重要じゃないということ。
以前、ライトノベルにおける批評(というか、シーンを概観する作業だな)を「地図作り」と表現して、かつてSF小説がそれで失敗した例を挙げ、同じ轍を踏まないといいなあなんて書いたことがあったけれども(そのエントリはこちら)より具体的に言うと、SFにおいてはある特定の(もしくはどれをとっても似たような)シーンというものがファンの間で支配的になってしまい、そのシーンの外側の才能や「いや、こんな見方もある」という異論がマイナーなものに留まらざるを得なかった。その結果、業界から読者から、なにからなにまで視野狭窄を起こしてしまったんじゃないかってのがあるわけですよ。(もっと具体的に言うと、どの媒体、どの雑誌を読んでも、同じような面子がSF小説に関する文章を書いているわけだから、必然の帰結であったのかなと思う。この構図は今も根強く残っているしね)。
だから、ライトノベルシーンの現状について、ある共通認識が出来上がってしまうということについて「それは悪影響も大きいんじゃない?」という危惧があったんだわ。。
しかしだ、このエントリを書いたときに大きな点を見逃していたことにさっき気がついたのよ。そうね、SFが大失敗した頃と違って、今ってネット社会なのよね。


つまり、ある事柄のシーンを概観しようと思ったら、昔はそれこそブックガイドや雑誌・評論書といった出来合いのものを頼りにするか、数少ない同好の士が集まって馬鹿話しながらダベるくらいしかなかったのが、今は多くの人が自分描くシーンを提出できる状況になっていたのね。それを忘れていた。
そういった中では、ある特定の見方が大勢を占めてしまう危険性は以前に比べてずっと減っているんじゃなかろうか。なんだ、じゃあ心配ないじゃん。と。
逆に言うと、ある見方が大勢を占めてしまったらそれが危険信号ともいえるんじゃないかと思う。
そういった意味で、のべるのぶろぐさんの論に対して異なる観点の論が出てきているのはとても健全なことであると思うし、既存の批評本において示されているシーンの図式っつーのにも権威を持たせてはいけないと思う。あれか、こんなところにも「既存のメディアに対するカウンター」が必要かなと(笑)。
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2005年10月20日

衰退とジャンルであることとジャンルではないこと

のべるのぶろぐさんで、「越境」するライトノベル:序章という連載が始まった。ライトノベルに興味を持ちつつ(いや、一応ロードス島世代だし)、何冊か購入するも積読の山っつうか山脈で遭難しかけている私。なにかしら勉強できるんじゃないかなと楽しみにしていたり。


で、読み進めていくと

 ライトノベルが批評されることで衰退していくのではないか、かつてのSFと同じ道を歩んでいくのではないか、と心配する向きもいる。だが私はそれを杞憂と断じる。なぜならライトノベルはジャンルではない、ゆえに閉塞はしない。あらゆるジャンルを自由に渡り歩き、貪欲にあらゆる要素を取り込んでいく。たとえ外からの目にさらされ、定義の枠を嵌められようとしても、ライトノベルの渾沌はそんな外圧など跳ね返すだろう。一ライトノベルファンとしてそう信じる。


かつてのSFと同じように衰退していくのではないかというあたりは、私もちょっと前に同じようなことを書いた。こちらがそのエントリ。やっぱり、他にも似たようなことを考えてる人がいるんだね(笑)。
ファンがそういった見方を杞憂だと前向きに一蹴してしまえる、そういう状況は実に好ましいというか、幸せなことだと思う。いや、本当に(ただ私、ライトノベルには本当に詳しくないので、そういった読者が多数なのかどうかすらわからないんだけどね)。
ただ、ライトノベルがジャンルではないから閉塞はしないってのは、まあ、あまり関係ないだろうなとは思ったりする。SFというジャンルがかつて元気なくなってしまったのは、SFがジャンルであったことが直接の原因だとは思わないので。ジャンルではないものがいわゆる「浸透と拡散」を起こしたらどうなっちまうんだろうとか、結果として特定の出版社・特定の作家にしか目が行かなくなるという、かつてのSFと同じ視野狭窄を起こすんじゃないかとか、そういったことはSFがジャンルであり、ライトノベルがジャンルではないこととはあまり関係ないだろうな、と。
でも、ライトノベルの場合は次世代の作家の発掘という、SFが一番ダメダメだった部分(笑)をしっかりとやっているわけで、その分持続するパワーも凄いだろう。そのパワーでこんな杞憂は跳ね返してしまう可能性も十二分にあるのかな。
ただ、どんな市場であろうとパイは限られているわけで。新しい才能はきっと無限に出てくるけれど、ライトノベル市場は無限じゃない。いつかはライトノベルも、今とは違ったやり方を取らなきゃいけないターニングポイントが来るんだろうなあ、きっと。
なんか良くわからない文章になったけれど、一読者として楽しみにしているので、のべるのぶろぐさんにTBをうたせていただくことにいたしましょう。
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2005年08月04日

17歳の地図

しばらく前から考えていたことを書いてみようと思う。まとまらないとは思うけれど、まあご愛嬌。



 ちょっと前に、伊藤典夫編「SFベスト201」(新書館  …関係ないが、この表紙はもうちょっとどうにかならんかったか?)と、大森望「現代SF1500冊 乱闘編1975〜1995」(大田出版)を購入した。どちらもSF小説のブックガイドだが。かなり趣きは異なっている。

 前者は、今までにも数多く(いや、多くはないか(笑))書かれたSF小説のガイドブックと同じようなスタイルをとっている。つまり、何冊ものオススメ本だか必読書だか、まあそういった本を、何人もの評者たちが紹介しているというスタイル。書き手が単独であるか複数であるかという違いはあれ、このスタイルのガイドは多い。SFを読み始めた頃お世話になったハヤカワ文庫の「SFガイドブック」や、伊藤典夫の序文でも触れられている自由国民社の「世界のSF文学・総解説」もそう。
 この手の本は通して通読するより、適当なところを開いてパラパラとやるのがなんとも言えず楽しい。風間賢二の「いけない読書マニュアル」なんかも、同じような読み方して、すっげえ楽しんだような記憶がある。


 後者は、逆に通して読んだ方が面白い。大森望が様々な雑誌や新聞で書いてきた書評を集めたものだからである。様々な本に対する大森氏の評価ももちろんなのだけれど、それよりもその当時どんなSF小説が出版されていたか、シーンがどんな様子だったかが垣間見れて、面白いやら懐かしいやら。25歳以上のSFファンにはオススメ。


24歳以下のSFファンなんて実在するのかという疑問は、俺の胸の奥にしまっておこう。


 SFのみならず、こういったジャンル小説のガイドブック(場合によってはジャンルを跨いだガイドブック)というのは古今東西いろいろある。いや、小説に限らず、映画でも音楽でも色々あるな。要はあるジャンルのシーンを概観して、それを広めることを目的とした本。個人的に、そういったシーンを概観する作業を「地図作り」と呼んでいる。


 でだ、SF小説を出している出版社といえば早川書房に東京創元社、も一つおまけに徳間書店といったところが老舗なわけだ。
 今までSF小説のガイドブックというと、なぜか海外モノ主体であることがやたらと多く、必然的に早川書房や東京創元社、それと今は亡きサンリオSF文庫の作品が多く取り上げられてきた。


 さて、ここんところ、SF小説というのは割りと元気が良い。10年位前は「冬の時代」やら「クズSF論争」(関係ないが、今考えるとこれは壮大な(ジャンルの規模を考えると卑小な?)茶番だった。私がSFの評論に全く興味がもてなくなったのはこの頃からだ)やら言ってた訳だが、いやいや、隔世の感がありますな。
 今の好調を支えているのは、海外小説の翻訳においては河出書房の〈奇想コレクション〉と国書刊行会の〈未来の文学〉という二つの野心的な叢書であり、国内においてはライトノベルを主な活躍の場としていた作家を多く起用した〈ハヤカワSFシリーズ Jコレクション〉及びここ最近のハヤカワ文庫JAだったりする。まあ細かく言うと色々あるけど、そこは目を瞑っていただいて。


 何が言いたいかというとね、今の好調を支えているこういった要素が、従来の地図作りでは軽視、場合によっては丸っきり無視されていたのではないかということなんだよ。
 重視していたとは言わさねえぞ。


 従来ノーマークであった出版社(まあ、国書はそうでもなかったかも(笑))や、ノーマークであったジャンル(「ライトノベル」をジャンルとしてくくるか否かは、とりあえず置いとけ)から、今の状況はもたらされたわけで、じゃあ、それらを軽視してきた地図ってなんなのさ? とか思ってしまったわけだ。


 話は更に続く。
 私はライトノベルの良い読者ではないが(興味はあるし何冊か買ってもいるんだけどね、なかなか読めない)、隣の芝生から見てみるに、ライトノベルにおいても地図を作る作業が盛んになってきているように見える。
 いや、いいんだよ。地図を作るのは楽しいし、他人が作った地図をあーでもないこーでもないと眺めるのも楽しい。
 また、過去の作品や他の作家の作品と関連付けて小説を読んでいくというのもそれはそれで楽しいし。
 気になるのは、地図に載らなかった場所はどうなるのかってことなんだわ。既に述べたとおり、SFはそれで一度大失敗している。(もちろんベテラン作家も精力的に活動しているけれども)今のシーンの屋台骨を支える作家たちがデビューしたり、デビューしようとしていたその時期に、彼らにほぼ無視を決め込んでいたんだよ。地図に載っけていなかったばっかりに。
 要は、地図も楽しいばかりではないってこった。地図は楽しくわかりやすいが、境界線もあるし縮尺や解像度の問題もある。しかし、かつて地図の外にも土地が広がっていることを忘れたばかりに、読者も作者も不遇をかこった愚かなジャンルがあったのではないかってことで、ライトノベルにはその轍は踏んで欲しくねえなってこったよ。
 まあ、年寄りの愚痴だと思って、大目にみてくれ。
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2005年07月27日

「タフの方舟」がえらく面白かったのよ

ジョージ・R・R・マーティンの連作短編集「タフの方舟 1 禍つ星」「タフの方舟 2 天の果実」をこの間読了。いや、これがえれえ面白かったのよ。
エコロジカル関係における、愚直なまでにストレートで割りと一面的な主張に眉をひそめる向きもあるでしょうが、まあそこは目を瞑っていただいて(大体、エンターテイメント作品では愚直なぐらいストレートな主張って傷にはならないでしょ)、ベテラン作家の筆の冴えを味わうのが吉かと。
もうビックリするくらい正統派のスペオペですよ。人を食ったような意地の悪さも含めて。
上で挙げた「愚直なくらいストレートな主張」ってのも、それと見解を異にする人物(この人の姐さんっぷりがまたいいんだ)とのディスカッションという形で楽しめるものに仕立てているあたりが、また卒がない。
現代に蘇った意地の悪い「メドシップ」ってな感じ。そういやメドシップも正統派スペオペだったわなあ。メドシップにはいたヒーローってのがタフの方舟ではいないのは、時代の流れって奴ですかね。
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2005年07月11日

帯に短し恋せよ乙女

ちょっと乗り遅れてしまったのだけれど未公認なんですぅさんで本の帯について話題になっていた。
ちょっとそのエントリの主題からはずれてしまうのだけれど、本の帯の話。


ご存知の方はご存知であろう、遠からん者は音に聞け、近からん者は目にも見よ、私は新古書店勤務の古本担当だったりするのである。
で、新古書店(古書店じゃないぞ)で帯がどのような扱いをされているかというと(まあ、店によって会社によって、若干の方針の違いはあるとは思うけど)、基本的に速攻でゴミ箱行きである。これがなぜかって、案外知らない人多いんじゃないかな?
まず、どうせ破れやすいんだからはなっから外してしまえというのが一つ。
また、何年も前の帯をつけていても販促効果なんかあるわけないというのが一つ。
そしておそらく最大の理由が、「背表紙の色あせの防止」なんですわ。


背表紙というのは、大変に色あせしやすい。嘘だと思ったらあれだ、あなたの部屋の本棚にささってる本の背表紙、あらためてじっくりと見て御覧なさい。案外色あせているもんだから。
でですよ、その中から色のついていて、なおかつ帯がつけっ放しの本をおもむろに取り出してみたりするともっといい。白だとわかりにくいから、白じゃない色の背表紙で一つよろしく。
そして、満を持してその帯を取り外していただくと、ほら、光が当たっていない帯の下の部分と、既に色あせしてしまっている部分がくっきりと分かれてしまっているのがわかるでしょう?


入荷した本がすぐに売れるのであれば、帯をつけたままでも色あせの心配はあまりないのだけれど、もちろん、そううまいこと行くはずもないわけで。売場に長いこと置いてある商品というのも出てきます。
そうなると、売場での色あせというのも出てくるわけだけれど、さて、背表紙全体が色あせしていくのと、帯をつけっぱなしでツートンに色あせしてしまうのと、どちらを選ぶかという話なわけですな。
多くの新古書店は前者を選んでいます。
たまにお客さんから、「本を売るときには帯をつけておいた方が良いんですか?」とか聞かれることがあるのだけれど、そういったときには「いや、外しておいていただいた方がありがたいです」とお答えしています。いや、多いんだよ。帯のせいでくっきりとツートンカラーになっちゃってる文庫とかって。
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2005年06月29日

Comical Batonがまわってきた

what's my scene?さんからComical Batonが回ってきたっす。マンガ版のバトンですな。
さくっと行きましょう。さくっと。


■今ある漫画の冊数
 私も不明。これを数えるのは嫌だ。4コマが多いですが。

■今いちばん読んでいる漫画
 「いちばん」というのが良くわからないんだけど(笑)。とりあえず今連載が続いている作品で楽しみにしているのは「ラディカルホスピタル」(ひらのあゆ)、「結界師」(田辺イエロウ)あたりかなあ。


■最後に買った漫画
 職場で買ったスクールランブルの1巻〜7巻。


■よく読み返す、または特別な思い入れのある5冊
 「アクアリウム」須藤真澄
 「ご近所の博物誌」わかつきめぐみ
  なんつうか、この二つは俺の中でロウ・ファンタジーとしてほぼ完璧な作品。

 「幕張サボテンキャンパス」みずしな孝之
  今の私は4コママンガを比較的よく読むのだけれど、そのきっかけになった作品ってなんだろうかと考えると、サボキャンと「ササキ様に願いを」なんだよなあ。

 「めぞん一刻」高橋留美子
  中学時代にはまりまくった。映画も見に行ったさ(石原真理絵じゃないほう)。同時上映がうる星やつらで、こっちにもはまりまくっとったなあ。ああ、なんて典型的な私。

 「まんがサイエンス」あさりよしとお
  あさりよしとおを挙げるというところまでは自分の中ですんなり決まったのだけれど、いざどれを挙げようか迷った迷った。「ワッハマン」「なつのロケット」「宇宙家族カールビンソン」と迷った挙句結局コレに。しかし、こうやって作品並べてみると、思っていたより作風の幅が広いんだなあ。


■次にバトンを回す人
 正直、誰に回したら喜んでもらえるのか思いつかなかったので、バトンはここにおいておきます。気が向いた人は拾っていってください。



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2005年05月25日

ドクター・ブラッドマネー

「ドクター・ブラッドマネー」(フィリップ・K・ディック/創元SF文庫)ようやく読了。
永らく絶版となっていたディックの長編、待望の新訳版再発。
後半の怒涛の展開、個人の主観が現実を侵食していくあたりはまさにディックの真骨頂。巻末の解説ではディックらしくない異色作という評価がなされているけれども、人工衛星上のディスクジョッキーとか(アルベマスを思い出すね)、泥臭い人間性賛美とか、展開が進むに従って他のディック作品にも見られるような要素が色濃くなってくる。非常に楽しめたですよ。
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2005年04月05日

カンブリア紀の怪物たち(サイモン・コンウェイ・モリス/講談社現代新書)

この間買った「カンブリア紀の怪物たち」読了。
バージェス頁岩やらエディアカラ動物群やらアノマロカリスやら扱った本というとスティーブン・ジェイ・グールドの「ワンダフル・ライフ」が有名だけれども、結論から言うと、読み物としては「ワンダフル・ライフ」の方が面白い。
というか、読んでみた感じ、「カンブリア紀の怪物たち」は「ワンダフル・ライフ」に対する反論として書かれた部分が大きいように見受けられる。最後の3章は丸々グールドに対する反論にあてられているといっても良いくらいだし。専門的な記述も多くなるので、グールドの方も読んでいないとピンとこないところがあるような。モリスはグールドの本を指して冗長であると評しているけれども、モリスのグールドに対する反論も冗長になってしまっているのがなんともはや。
だから、「カンブリア紀の怪物たち」は「ワンダフル・ライフ」とあわせて読んだ方がいいと思う。その方がずっとわかりやすい。そうしないと後半の章の持つ意味が希薄になってしまい、読むのがちょいときつくなる。逆にあわせて読むことで後半の章の持つ意味がわかり、モリスの主張をすんなり理解できるに違いない。
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2005年04月04日

買いたい本覚書

銀河通信さんが注目の新刊を紹介するコンテンツを更新停止して以来、買いたい新刊に目星をつけるのが億劫になってしまった。ので、忘れないように買いたい本の覚書でも書いておこうと思う。もう完全に俺専用のメモ。

ジョージ・R・R・マーティンの連作短編集「タフの箱舟」が2ヶ月連続で刊行予定(全2巻)。昨年はグダグダのラインナップであったハヤカワ文庫SFレーベル。「SFが読みたい! 2005年度版」においては、自社から出しているガイドブックであるにもかかわらず14位に一作品滑り込ませるのがやっとという快挙も達成したわけだけれど、今年に入ってからはソウヤーの「ホミニッド」刊行、そして4月5月とこのマーティン作品。復調の気配だといいなあ。

同じくハヤカワ文庫、JAレーベルからは5月に谷甲州の短編集「星空の二人」刊行予定。名短編集であった「星は、昴」みたいな素敵な本でありますように。

単行本では「ハリガネムシ」の吉村萬壱が新作「バースト・ゾーン」を刊行するという珍事が発生。どうした、早川書房。文学賞でも狙っているのか。

東京創元社、文庫ではエドモント・ハミルトンの「反対進化」が刊行済みなので今度買いに行こう。4月に刊行予定のフリッツ・ライバー「妖魔と二剣士」はファファード・アンド・グレイマウザーの4冊目。義務のように購入いたします。ていうか義務だろ。
同社の海外文学セレクションではバリ・ライの「インド式マリッジ・ブルー」が気になる。いつ出るんだろう? 同じくインド系の作家であるジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」はどうも肌に合わなかったんだけど、これは楽しめるかしら。

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2005年03月15日

恐竜博物図鑑

今日買ってきた本で、早速読んでしまったのが「おおきく振りかぶって」と「恐竜博物図鑑」。「おおきく振りかぶって」はとても面白かったんだけど、もう誉めている人がたくさんいるので、そちらを参考にしてください。私なんかよりうまく誉めている人が絶対にいるから是非そちらを。いや、本当に面白い。


で、「恐竜博物図鑑」(ヘーゼル・リチャードソン/新樹社)もとても面白かったので、そちらのほうを是非ご紹介したいな、と。
つーかさ、180種以上の恐竜を描いた美しいCGが、全篇フルカラーで収録されてるんだよ? もうそれだけで幸せですよ。
原著が2003年にでたということもあり、最近になってわかった事実や学説なんかもきちんとフォローされているらしく、「へー、そうだったんだ!」と感心したことも一度や二度じゃない。子どもの頃に図鑑に載っていた恐竜に見ほれたことがあるという人すべてにオススメしたいね、本当。
子どもの頃に読んだあの図鑑には載っていなかった恐竜がわさわさ出てくるわけですよ。この愉悦といったらもう、何物にも替えがたいものがありますな。


とまあ、本書最大の魅力は紛れもなく「新たな知見が反映された、美しい恐竜のCG」なんだけれども、それだけだったら紹介していたかどうか微妙であったりいたしまして。
実は一番ポイント高いところは、恐竜というのを進化の系統樹の中にきちんと位置づけて記載していこうという姿勢だったりするんですわ(だから恐竜「博物」図鑑だというわけらしい)。
恐竜と一言に言うけれども、恐竜ってのはどんな祖先から枝分かれしてきたのか。
さらに、恐竜自身はどのように枝分かれをして繁栄していったのか。
そして、どのような恐竜からどのような生物が枝分かれしていったのか。
ついには、恐竜の時代が終わった後にはどのような生物がどのように分かれていったのか。
これらのことを全篇フルカラーのCGを駆使して記載してあるわけです。だから、恐竜だけじゃ無しに、恐竜以前の爬虫類も、恐竜と同時代に生きた恐竜以外の生物も、その後に繁栄していった鳥類と哺乳類も、きちんとカバーしてあります。
加えて、人類偏重の愚にも陥っていない、実に良心的な作りです。進化の分岐を表す図表でも、霊長類をトップに持ってくるような真似はしていないのね。


本書は失われてしまった恐竜という生物の目もくらまんばかりの多様性に対する賛歌であり
また、その素晴らしい恐竜という生物が、素晴らしい地球上の生命が進化していく上でどのように位置づけられるのかを、科学者の良心に照らしてきちんと示そうとした良書であります。
昨年話題になった「フューチャー・イズ・ワイルド」も悪くは無かったですが、この「恐竜博物図鑑」と比べると霞んで見えてしまう。相手が悪すぎます。
生き物の不思議に心奪われたことがある方は是非。
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2005年02月03日

復刊されたサンリオ

久々に2ちゃんのSF板見てたら、復刊されたサンリオSF文庫をリストアップしている人がいて「へえーー」と感心したのでここにも載っけてみる。元々のスレはこちら。★☆★ サンリオSF文庫 ★☆★SF文庫データベースで、サンリオのラインナップなんかも見れるので、お好きな方は是非。


「時間のかかる彫刻」(「スタージョンは健在なり」)シオドア・スタージョン/創元SF文庫
「妻という名の魔女たち」フリッツ・ライバー/創元SF文庫
「ロカノンの世界」アーシュラ・K・ル・グィン/ハヤカワ文庫SF
「辺境の惑星」同上
「幻影の都市」同上
「夜の言葉」ル・グィン/岩波同時代ライブラリー
「虚空の眼」フィリップ・K・ディック/創元SF文庫
「ライズ民間警察機構」(「テレポートされざる者」)同上
「あなたをつくります」(「あなたを合成します」)同上
「暗闇のスキャナー」同上
「ヴァリス」同上
「聖なる侵入」同上
「アルファ系衛星の氏族たち」同上
「死の迷路」(「死の迷宮」)同上
「ティモシー・アーチャーの転生」同上
「アルベマス」同上
「ドクター・ブラッドマネー」(「ブラッドマネー博士」)同上
「流れよわが涙、と警官は言った」(「流れよ我が涙、と警官は言った」)ディック/ハヤカワ文庫SF
「パーキー・パットの日々」「時間飛行士へのささやかな贈り物」「ゴールデン・マン」「まだ人間じゃない」(「ザ・ベスト・オブ・ディック1〜4」)同上
「口に出せない習慣、不自然な行為」ドナルド・バーセルミ/彩流社
「罪深き愉しみ」同上
「アマチュアたち」同上
「競売ナンバー49の叫び」トマス・ピンチョン/筑摩書房
「逆転世界」クリストファー・プリースト/創元SF文庫
「バトルフィールド・アース1〜6」L・ロン・ハバード/世界社
「老いたる霊長類の星への賛歌」ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/ハヤカワ文庫SF
「パヴァーヌ」キース・ロバーツ/扶桑社
「ノヴァ急報」ウィリアム・S・バロウズ/ペヨトル工房
「キリマンジャロ・マシーン」「歌おう、感電するほどの喜びを!」(「ブラッドベリは歌う」)レイ・ブラッドベリ/ハヤカワSF文庫
「ザ・ベスト・オブ・サキ」サキ/ちくま文庫
「ザ・ベスト・オブ・サキ2」サキ/ちくま文庫
「ナボコフの1ダース」ウラジミール・ナボコフ/ちくま文庫
「ラーオ博士のサーカス」チャールズ・G・フィニィ/ちくま文庫
「スリランカから世界を眺めて」アーサー・C・クラーク/ハヤカワ文庫NF
「夢幻会社」J・G・バラード/創元SF文庫
「ザ・ベスト・オブ・J・G・バラード」バラード/ちくま文庫
「沈黙の声」トム・リーミィ/ちくま文庫
「夢の蛇」ヴォンダ・N・マッキンタイア/ハヤカワ文庫SF
「殉教者聖ペテロの会」ジョン・ソール/創元推理文庫
「解放された世界」H・G・ウエルズ/岩波文庫


以上。括弧内はサンリオで出された時のタイトルね。ちなみに「サンリオで刊行予定だったけれども刊行されず、後に他の出版社からでた」ってのも存在します。えーと、ムアコックの「グロリアーナ」に、ディックの「去年を待ちながら」に、他になにがあったっけか?
上記に挙げたタイトルでは「夢幻会社」「夢の蛇」「逆転世界」「暗闇のスキャナー」「流れよわが涙、と警官は言った」「老いたる霊長類の星への賛歌」「夜の言葉」あたりが個人的にオールタイム・ベスト級の作品(「夜の言葉」は評論ですが)。もちろん、全部読破しているわけじゃないのであしからず。
しっかし、有名な作品でも案外復刊されていなかったりするのね。トム・リーミィの「サンディエゴ・ライトフット・スー」は復刊の予定があったはずなんだけど立ち消え。「沈黙の声」が売れなかったんだろうなあ。「ノヴァ急報」出したペヨトル工房にいたっては潰れてしまったし。いや、ペヨトル工房の本って映画化もされたバラードの「クラッシュ」しか持ってなかったけど(小説は傑作でした。映画はまあなんというか、これ以来クローネンバーグ作品に興味がなくなったんですが)。
ケイト・ウィルヘルム、マイクル・コニィ、ボブ・ショウなんかはサンリオ沈没以降、そもそも作品を読めない作家となってしまっているので、是非復刊して欲しいところですな。あと、レムコレクションを刊行中の国書刊行会にもどうか「天の声」「浴槽で発見された手記」も救い出してもらって(「枯草熱」は復刊予定とのこと。というか、ハヤカワから出てるレムの作品もその多くが入手困難だったりするので、ぜひがんばって欲しいっす)。
あと、同じく国書から「アジアの岸辺」がでたトマス・M・ディッシュも是非。傑作と名高い作品が残らずサンリオと道連れになってるのよね(笑)。


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2005年01月07日

新古書店で溜まる本

ええ、年末年始と申しますと大掃除の時期でございまして、ある人にとって大事なものでも他人から見るとゴミ同然という場合もよくあることでございます。
本やCDなんていうのもそんな中に入りがちでございまして「ちょっとあんた、そこに積んである本、邪魔だから捨てなさいよ」ってなやり取りがあるんでしょう。また、ベッドの下のエロ本を不用意にゴミに出したりした日には身の破滅につながってしまうといったこともございましょう。新古書店に大量の買取が持ち込まれる時期でもあるのでございます。
ひどいときにはもう店内ディズニーランド状態でございまして、「はーい買取のお客様、こちら最後尾、1時間待ちになりまーす」ってなぐあいで、まあ待っていただくお客様には申し訳ないんですが、こちらの処理能力にも限度がある。かくして、一日中買取を続け、倉庫は商品で溢れかえるわけでございます。


新古書店というのは委託販売の新刊書店とは大分違いまして、基本的には(状態が悪くない限り)来る物は拒まず、という商売でございます。まあ、中にはどんなに綺麗でも買い取りできない商品もございますが……いや、96年発行の着メロの本や、80年代の旅行のハンドブックとか持ち込まれても困ってしまうわけでございまして。いや、来月旅行に行こうって言うときに、10年前の「地球の歩き方」買わないでしょ? 止めはいたしませんが。
まあそれはともかく、積極的に仕入をコントロールできるわけではございませんから、需要と供給にズレが生じるわけでございます。そんな中で、あまり売れないのに買い取りは多く溜まる一方、なんていう本も出てきたりいたしますな。


例えば「名探偵コナン」。読んだこともありますし嫌いじゃないんですが、いかんせん、売れる数に比べて持ち込みの数が多すぎる。そうすると自然と買取価格も安くなるわけでございますが。
他には「犬夜叉」なんてのも溜まって仕方がない本でございますな。高橋留美子先生は同郷ですし「めぞん一刻」「うる星やつら」「人魚の森」なんかは私の青春時代を彩った作品なんでありますが、溜まるものは仕方がない。
コミックから離れまして、赤川次郎、西村京太郎なんていうところも、殺人的な量が入ってくる御本でございます。「リング」「らせん」なんてところも、そういった傾向がございますな。あとは旬を過ぎてしまった本。「五体不満足」やら「だからあなたも生き抜いて」やら「ファイト」やら。
もちろん、本の内容が劣っているとか、そういったことではないんでしょうが、需要と供給のバランスの問題でございます。
また、買取の量はさほど多くないけれど、今となっては売れる量が少なく、結果として溜まっていくなんていう本もございまして、例えば銀色夏生さんの本なんかはそういったイメージがありますな。あとは恋愛のHow toもの。というか秋元康と柴門ふみ。これなんかも棚の肥やしとなっております。


そうするってえと店としては安売りをしたり、仕入値(買取値)を下げたりってなことをして何とかしようとするわけでございますが、新刊書店ではこれが出来ない。
隣の芝生はなんてことを昔から申しまして、売れる本を注文できるというのは本当に羨ましく塀の向こうから芝生を覗いているんですが、過剰在庫の処理方法というのは本当に不思議でございます。
いや、返品して倉庫にたまり、溜まりすぎると断裁ってな話は聞くんですが、これが本当に不思議でございまして。小売の感覚といたしましては「棄てるくらいなら安くして、少しでも売上に変えたほうが得」ってな風に考えてしまうのでございます。
素人考えなんでございましょうが、せっかく一度は市場に出した(もしくは出すべく用意した)商品を棄てるというのは、倉庫代から運送代から材料代、人件費まで、結構な勢いで流通のムダが出てしまっているように思えてしまうんですな。
買い切りの(返品できない)ハリーポッターが本屋で余ったなんてな話を小耳に挟んだことがございましたが、返すことも値下することも出来ない過剰在庫なんていうものは、これは悪夢以外の何物でもないのでございまして……そうなると行く先はゴミの山。本で御殿が建ったというから行ってみたら紙製の家が建っていたってな具合でございます。
さて、再販制度で値下できないと、在庫の面から見てみるとえらい損してるかもよというお話でございました。
お後がよろしいようで……
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没後50周年メモリアルヒットパレード

年末年始の非人間的な忙しさも何とか一段落し、皆様、あけましておめでとうございました。


さて、こちらこちら、ウチでもこれこれで2回ほど取り上げたことがありますが、著作権のお話、次は著作権の保護期間が50年から70年に延ばされるかもしれないって話ですわ。
まああれだ、文化なんて滅んでしまえって感じか(笑)。


とは言ってもですよ、上で挙げたような青空文庫みたいな試みもあるにせよ、正直さぁ、50年が70年に引き伸ばされることで、普段の読書、音楽鑑賞、映像観賞にどういった影響が出るのか、今ひとつピンとこないでしょ。俺もそうなんだけども。
これは裏を返すと、50年以上前に製作された著作物(現状だと主に書籍ですな)に触れる機会が少ないということなのだけれども。
で、試しに1950年代に無くなった作家の名前を適当に挙げてみようかと(ああ、Wikipediaに栄光あれ!)。今年は2005年。50年前は1955年ですな。


・1950年没
 ジョージ・オーウェル(「動物農場」「1984年」など)
 エドガー・ライス・バロウズターザンシリーズ、火星シリーズ、ペルシダーシリーズなど)
 バーナード・ショー(名前しか知らんが、なんか色々)
関係ないけど、この年にスティービー・ワンダーと山田正紀とデイヴィッド・ブリンが生まれてる。この三人同い年かよ。うわぁ。


・1951年没
 アンドレ・ジッド(「贋金つくり」など。ノーベル文学賞受賞者)
 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(作家じゃないかもしれんが、彼の著作の重要性を否定する奴はあんましいないだろう)
鶴瓶師匠がこの年の生まれだわ。

・1952年没
 ありゃ、この年は作家って載ってないね。作曲家はいますが。中山晋平氏。


・1953年没
 斉藤茂吉(歌人)
 堀辰雄(「風立ちぬ」「美しい村」など)
へー、ナイジェル・マンセルってこの年生まれか。


・1954年没
 作家じゃないけど、あのアラン・チューリングが亡くなってる。
 福井英一(漫画家、「イガグリ君」「赤胴鈴之助」など)
エルビス・コステロ、マイケル・ムーア、カズオ・イシグロ、大友克洋なんかがこの年生まれ。


・1955年没
 坂口安吾(「堕落論」など)
 トーマス・マン(「魔の山」など。ノーベル文学賞受賞)
 アルベルト・アインシュタイン(!!)
 チャーリー・パーカー(!!)
他にもジェームス・ディーンとか、ビッグネームが亡くなってるなあ。この年生まれた有名人もいっぱいいるわ。


・1956年没
 高村光太郎(「道程」「千恵子抄」など)
現長野県知事や桑田佳祐、奥泉光なんかがこの年生まれ。


・1957年没
 F・W・クロフツ(「樽」「フレンチ警部最大の事件」など)
 スタルヒンが亡くなってる(笑)。まあ著作権とは関係ありませんが。でもこの人なんかは著作あってもおかしくないっていうのが
 ジョン・フォン・ノイマン(数学者)


・1958年没
 横山大観(作家じゃないけどね)
この年に東京タワーとチキンラーメンができております。

・1959年没
 ビリー・ホリデイ(!!)
 レイモンド・チャンドラー(「長いお別れ」など。言わずと知れた大物ですな。ちなみにハメットは61年、ロス・マクドナルドは83年に没。)
春風亭昇太師匠がこの年生まれ。意外。もっと若いかと思った。


・1960年没
 アルベール・カミュ(「異邦人」など。っていうか、セイン・カミュって血縁だったのかよ!
 火野葦平(「花と龍」「麦と兵隊」など)
 ボリス・パステルナーク(「ドクトル・ジバゴ」など)
 和辻哲郎
この年は作家さんがいっぱい生まれてるわ。っていうか、アンカツと石田衣良って同じ日に生まれたのかよ!! 他にも新井素子とか小野不由美とか西澤保彦とか宮部みゆきとか岡野玲子とかサンプラザ中野とかたくさん


 うーむ。この近辺に亡くなった作家さん。もうちょっと調べてみようかな。


追記:C・M・コーンブルースが1958年没(「宇宙商人」「シンディック」など)。
ネヴィル・シュートが1960年没(「渚にて」「パイド・パイパー」など)。
オラフ・ステープルドンが1950年没(「シリウス」「オッド・ジョン」「スターメイカー」など)
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2004年12月14日

求むアイザック・アシモフ(時給・休日応相談)

なんか先日来、科学エッセイが読みたくて仕方がなくなってしまい、本屋へ行ってグールドのエッセイ集なんかを買い漁ってきたわけでありますが、いや、やっぱりいいね。
科学エッセイというと、パッと思い浮かぶのがグールドとアシモフなんだけれども、これは私がSFファンであることと無縁ではない。というか、両方とも早川書房から出てるってことと無関係ではあるまい(笑)。
しかしあれだ、これを読むにつけ残念なのが、心理学にもアシモフやグールドに匹敵する筆力及び影響力をもつ書き手がいたらなあ、と。
筆力という点では、きっと探せばいると思うんだよ。学生時代にお世話になった先生の著作を読んでみたら、これがわかりやすくて面白かったってのもあったし。ついでだから宣伝しておこう。鈴木光太郎先生と本田仁視先生な。面白いぞ。
下條信輔氏の「サブリミナル・マインド」も面白かったし。まあ、「サブリミナル」っていうタイトルは扇情的かなとも思うけれども(笑)。
でもなあ、知名度という点で今ひとつというか、いや、アシモフやグールドと比べるほうが間違っているとも思うんだけどさ(笑)。日本人に限っても自然科学の分野では金子隆一氏や石原藤夫氏、福江純氏に橋本淳一郎氏といった人材がいるし、哲学関係でも(読んでないジャンルだから名前は挙げないけれども)結構一般向けの著作ってのが出されているはず。
それが、心理学になると少ないんだよなあ。心理学まがいの自己啓発本は腐るほど出ているし(大体、精神医学の先生が書名で「心理学」とか名乗ってんじゃないよ。ったく)、カウンセリング関係の本も出てる。まじめな学術本ももちろん出ているけれども、一般向けの読んで楽しい本、またはシーンを概観する(変な言い方だな)解説本ってなると、これががくんと激減する。精神分析? 知るか、そんなもん。ありゃ別ジャンルだ。
いや、書くことが出来る人材はいると思うんだよ。その場が無いだけで。
一般向けのサイエンスってえと、どうしても自然科学、ハードサイエンスに偏ってしまうってのは仕方のないことだとは思うんだけども、うーん。
ひとつ、アシモフみたいな人物が出てきてくれないもんかね?
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2004年12月05日

友成純一/ピーター・ジャクソン/ジョー・R・ランズデール/田中啓文/ワイドスクリーンバロック

友成純一の「獣儀式」を読了。スプラッタの偉い人という認識のみで、今まで友成純一氏の作品は読んだことなかったんだけれども、いや、おもしれーわ。
血しぶき、セックス、内臓、血しぶき、セックス、内臓、血しぶき、内臓、内臓。
神と悪魔が冥土から去ったせいであの世とこの世の境界が曖昧になり、地獄の鬼が現世に出没するという筋こそあるものの、まあ、ストーリーはあって無きが如し。もうひたすら血しぶき、セックス、内臓、血しぶ(ry
苦手な人は苦手だろうが、読んでる最中のカタルシスたるやものすごいものがある。
普段、あまりホラーとか読んだり観たりしないもので、あまり他の作品と比較できないのだけれど、あれだ、近いのは誰かなーと考えてみたんだよ。この読後感は、どっかで覚えがあったんで。

パっと頭に浮かんだのは、指輪物語で一山当てやがったピーター・ジャクソン監督の、知っている人は知っている傑作「ブレイン・デッド」。
ビデオのジャケットでは、ナースがなまめかしい感じで緊縛なんかされちゃってるんだけれども、本編にはナースは一切出てこないアレだ。
嗜好の限りを尽くして人体を解体しまくる様は実に楽しく……そう、スプラッタなんだけど、実に楽しいんだよ、この映画……画面の前で腹を抱えて笑うことも一回や二回ではきかない。
実にわかりやすく提示されている母性的なモチーフも素敵。
でも、ブレイン・デッドでは笑いが強すぎて、「獣儀式」の読後感とはちょっとずれる。

次はスプラッタ・パンクなるサブジャンルの大将格にされかけた暗い過去があるジョー・R・ランズデールの「モンスター・ドライブイン」(創元SF文庫より)。
なんや知らんが謎の現象でカーシアターに閉じ込められることになった人々が、いい感じに極限状況に追い詰められて、なんかモンスターとかも出てきていい感じに人間性剥奪されていく様を陽気に描いた快作。
短くて一気に読めるせいもあるんだろうが、実に爽快な読後感。
この爽快さってのは、殺戮と混乱がもたらすカタルシスも大きいんだけれども、最後まで揺るがない主人公の価値観によるところもまた大きく、この「最後まで人間性を尊重する主人公」ってのがランズデール作品に共通する特徴である(って、解説に書いてあった)。
言い換えると、その人間性を頼りに読者は読み進めていけるわけで、「獣儀式」にはそういった救いは存在しない。やっぱし、ちょっとずれるな。

で、思い至ったのが田中啓文。そうだそうだ! 「蹴りたい田中」だ!
駄洒落のためには人体はもちろん人間性とか小説としての構成とかいったものを叩き潰すその傍若無人っぷり。傍若無人! そうそう、それだ!

傍若無人つながりのほかに、もう一つつながるように思えるとこがある。豪快な風呂敷の広げっぷりがそれ。
「獣儀式」も、後半、すさまじい勢いで風呂敷を広げる。たたみ方なんて知ったことか。広げろ広げろ。
田中啓文作品にもそういったところがある。代表作でもある「人類圏」シリーズなどに顕著だろう。駄洒落と悪趣味のために人類とか生命とか銀河とかを軽ーく巻き込んでいく。
あとがきやらなんやらから察するに、田中作品における風呂敷ってのは、ワイド・スクリーン・バロックを志向したものだったりするんだな、これが。
ワイド・スクリーン・バロックって何かというと……さすがに私の手に余る。検索しとくれ。
キーワードはブライアン・W・オールディス、A・E・ヴァン・ヴォクト(ヴァン・ヴォート)、アルフレッド・ベスターと「虎よ、虎よ!」、バリントン・J・ベイリーと「時間衝突」「禅銃」「カエアンの聖衣」、クリス・ボイスとその傑作長編「キャッチワールド」ってなところでよろしく。
つーか、「キャッチ・ワールド」読めば事足りる。読んじゃえ読んじゃえ。


つーわけで、本人が意図したかどうかは知らないが、というかたぶん意図はしていないだろうけれど、「獣儀式」はワイド・スクリーン・バロックの称号を得るになんら遜色のない傑作だと言いたい訳ですよ。
posted by 旅烏 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(1) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月29日

ブルータワーはSFであるかどうかは、まだ読んでいないんでわからんが

SF定義論争というのはもう絶対に不毛になっちまうので、ここは2ちゃんSF板:駄作スレにおけるSFの定義
「(1)人の創作物はすべてSFです
 (2)したがってどんな映画も小説もマンガもTVドラマもSFです」
を採用することとして。

あとがきによると「ブルータワー」は、石田衣良氏はじめてのSF小説だそうだ。
氏は同じくあとがきで、小学校から中学校にかけて多くのSFを読み、楽しんできたことや、この作品がエドモンド・ハミルトンの「スターキング」へのオマージュでもあること、この作品が今元気が無いといわれているSFへのエールであることなどが書かれている。もう愛情満載。
なんか、読む前から好感度上がりっぱなしなわけだが。
だから徳間書店よ。
帯に


ヒューマン・ファンタジーとか書いてくれるな!


嗚呼、ブルータスおまえもか! SFAやSF JAPANや徳間デュアル文庫といった実績があるんだから、せめてSFの文字くらいいれておくれよ……
posted by 旅烏 at 05:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月22日

松本零士氏の珍妙なる主張

権利強化を求める権利者サイドの声〜パネルディスカッション

この記事によると、マンガ家の松本零士氏が、なんか変な主張をしたらしい。

まず一つ目。記事から引用させていただくと

−−−−−−−−−−
(松本氏は)「孫子の世界まで自分の著作物を守りたいというのが心情だ」と述べ、そのためにも現行著作権法では「作者の死後50年」となっている保護期間を「本音は死後120年ぐらいにいっぺんに延ばしてくれればいいが、そんな無茶は言えないので、まずは速やかに死後75年に延ばして欲しい」と主張した。
−−−−−−−−−−

松本氏の心情で、著作権法を動かされてたまるか。

さらに一つ。こちらのほうは、それに輪をかけて珍妙に思えるのだが。

−−−−−−−−−−
また松本氏は、「自分が描いたマンガの中で自分が苦労して編み出した言葉、いわば『創作造語』とでも言うべきものが簡単に盗用されてしまう」「というより、現在はそれの盗用を著作権法上防止する規制がないので、盗用という意識すらない」と語った上で「このような『創作造語』についても早急に著作権で保護するような制度を整備して欲しい」とも主張していた。
−−−−−−−−−−

待ってくれ待ってくれ。「宇宙戦艦ヤマト」は「戦艦大和」の盗作だと言われたらどうするつもりなんだ? コスモゼロだって、まんま零戦じゃないか。
ましてや、「宇宙戦艦」というアイデアは? 松本氏のオリジナルだなどとは、まさか言うまい?
「ワープ」って、最初に誰が考え出した言葉なんだ?

いや、クリエイターが、自らの作品からパクられるという行為に敏感なのはわかるよ。
わかるけどさ、それを法律で規制することでどれだけのものが失われてしまうか、ちょっと想像しただけで恐ろしいものがあるぞ。
「ワープ」使えないね。
「タイムスリップ」使えないね。
「タイムパトロール」使えないね。
「パラレルワールド」使えないね。
「テラフォーミング」も、ジャック・ウィリアムスンによる造語だから使えないね。
「ロボット三原則」ああ、もう絶対無理。ラッカーの「ソフトウェア」も、小松左京の「ヴォミーサ」も駄目だな。
「サイバースペース、電脳空間」、無理の真骨頂だな。
というか「ロボット」はカレル・チャペックによる造語だ。
松本氏の言うとおり『創作造語』を著作権によって保護し、松本氏の言うとおりそれを作者の死後120年にまで保護したらどうなるだろう。
チャペックが死んでから、120年はたっていないと思うぞ?
松本氏の主張どおりに著作権法が改正されたとすると、他ならない松本氏の代表作が著作権を侵害することになりかねないが、その自覚があるのだろうか?
posted by 旅烏 at 01:56| Comment(42) | TrackBack(8) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月29日

六本木+ヴィレッジヴァンガード=?

以前、青山ブックセンターがその営業を停止し、それを一部の人たちが出版文化の衰退であるかのごとく大騒ぎしているのをみて、それに対して大いに文句を言ったことがあるんですが。
で、非常に特殊な市場であるところの「都心」を過大に重要視する傾向にも、大いに文句を言ったわけなんですが。
そこにこんなニュースです。ソースは昨日の日経新聞。ネット上では見つけられなかったんですけれども。
ヴィレッジヴァンガードの六本木ヒルズ店が撤退するとの事です。
この不況にもかかわらず、消費者の支持を集め、成長している書店も中にはあるわけで、ご存知の通り、ヴィレッジヴァンガードはそんな企業の1つですね。
既存店だけ見ても昨年より成長しているというのですから、本物の証です。六本木ヒルズの店も、昨年比で見ると5%伸ばしてはいるそうで(まあ、5%って、物足りない数字ではあるでしょうが)。
にもかかわらず撤退、です。
記事では、主な原因としてふたつを挙げていました。
ひとつは利用者の年齢が他店に比べ高かったことにより、いわゆる「ついで買い」が少なかったこと。
もうひとつは運営コスト高。
しかしですね、ヴィレッジヴァンガードは確かに若者から支持されている店だとは思うんですが、その品揃えを見てみると、ジャズのCDは置いてあるは、英米文学のマニアックなところは置いてあるは、美術書やら写真集やら、むしろ若者ではないところに対応した商品が多く置いてあるわけです。
品揃えや商品展開面で六本木のお客さんに対応した売場作りができなかった、ということはあるのでしょうが、その原因を「ついで買いの不足」のみに求めるわけにもいかないでしょうね。まあ、ヴィレッジヴァンガードの中の人は、そんなことは100も承知だと思うんですが。
要は、コスト高、及び何らかの要因でもって、利益が思ったほど出なかったってことなんでしょう。


で、あっさりと店をたたむことにした、と。
これが英断であると思うんですよ。
出店する意図からして、売上のみを狙ったものではなかったでしょう。その企業のブランドイメージを高める、フラッグシップ店としての役割を担っていたはずです。社内でどういった位置づけになっていたのかはわかりませんが、会社によっては社運をかけたプロジェクトとして扱われていてもおかしくありません。
それを、あっさりとたたんでしまった。わかってはいても、なかなかできることではありませんよ、これは。
結果的に旧来の形態にしがみつくことになり、営業を停止した青山ブックセンターとはまさに好対照です。

「ヴィレッジヴァンガードも撤退かあ。まだまだ不景気なんだなあ……」では済ませて欲しくないニュースですね、これは。
posted by 旅烏 at 05:57| Comment(5) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月29日

青山ブックセンター閉鎖にまつわる大騒ぎと違和感

青山ブックセンターが閉鎖して、なんか、みんな大騒ぎしている。
まあ、自分のお気に入りの書店が閉鎖したってんだから、感傷的にもなるわな。
で、私はというと、皆が大騒ぎしている、それを頭で理解は出来るのだけれど、だからどうしたという冷めた感じが否めない。
なぜか?
それは、私が青山ブックセンターとはついぞ縁の無い、地方在住者だからだ。


田舎者が何を言っているんだ、と思う人もいるだろうけど、なんかね、いままでが恵まれていたというだけじゃないのか、ある書店の閉鎖で活字文化の進退がどうこういうところまで言ってしまうってのは勘違いじゃないのか、ってのがあるんですわ。まあ、田舎者の僻みかもしれんけど。
私は大学卒業まで新潟にいたのだけれど、一番読書に夢中になった時期、お世話になったのは、全国に何店舗も展開する大型書店ではなかったんだ。紀伊之国屋は新潟にもあったから利用したことはもちろんあったけれど、むしろ地元の、品揃えに優れた新潟市内の万松堂や、痒いところに手が届いた新津市の英進堂、いつまでも時間をつぶせた大学の生協、大学周辺の古本屋、SFの品揃えが充実していた五泉市の古本屋である古文堂、駅ビルに入っていたヴィレッジ・ヴァンガード、そういった書店だった。おまけに、他にも北光社なんていう書店もあって、選択の余地もあった。
(もう長いこと新潟の街を歩いていないので、これらの書店がどうなっているのかわからない。ヴィレッジ・ヴァンガードが撤退したのは知っているんだけれど)


つまりあれだ、地方にだって読書を楽しんでいる人たちが大勢いて、そういう人たちを育んできたのは、青山ブックセンターやら、紀伊之国屋やら、リブロやら、ブックファーストやら、書泉グランデやら、ジュンク堂書店やらといった全国の(とはいっても限られた)都市部に展開する大型書店ではなく、地元の書店だったわけでしょ。
そういった地元の書店も、たくさん倒産しているわけですよ。これは、日本にも遅れてやってきたモータライゼーションとやらで、郊外型の店舗というモデルが発達し、従来の街の中心に位置する大型店舗というモデルが衰退していくという、大きな流れに沿ったものでもあるんだけれど。
で、とにかく地方の書店もガンガン潰れた。いわゆる街の書店なんかはもう悲惨。私の生まれ故郷の小さな町では、もう何年も前に一軒も書店がなくなっちまったよ。
この時、どのくらい多くの人が、「読書という文化の危機」を訴えたんだろう。
それでも、私や周りの本好きたちは、本を購入し、貪るように読んでいたんだ。


そして、つい最近青山ブックセンターが潰れた。
これも大きな流れに沿ったものだわな。今時、家賃は高いわ集客はさほど見込めないわで、都心部にビジネスチャンスを求める小売業者など、ほとんどいない。
安い家賃で、そこそこの集客が見込める郊外のほうが、利益が出るんだよ、今のところ。今後はわからんが。
もうあえて言ってしまうけれど、当然じゃねえか、潰れるのも。
全部が全部潰れることもないだろうが、全部が全部生き残ることもありえない。あたりまえだ。
そりゃ、自分のお気に入りの本屋が無くなったらさびしいってのはわかるんだがね。
もう、ぶっちゃけちゃうと、なんかむかつくんだよな。俺のは田舎者の僻みだが、いわゆる都心部の驕りってのも、多分にあると思うぞ。
posted by 旅烏 at 03:32| Comment(3) | TrackBack(3) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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