というわけで、8月2日に行われた文化庁の著作権分科会。
三田誠広委員がこんな発言をしたそうだ。作家である三田氏の著作については
こちらでも見ておくれ。手軽なんでAmazonのリンクを貼るけど、このリンクから購入しないでいただけるとありがたい。この人の売上にはあまり貢献したくないので。
それはそうと、発言だ、発言。分科会のレポートを上げてらっしゃるサイトさんはいくつかあるけど、ここでは
造反有理さんから引用させていただくと……
三田氏:(前略) 中古販売では、従来から、ゲームソフトや音楽CDの場合はデジタルなので簡単にコピーができ、しかもそれがクローンコピーで元と全く同じである、これに対する権利を守らなければならない、という文脈で語られることが多かった。そして、書籍の場合は、コピーしても製本がうまくいかないので元のものとは違うとして、それらとは区別して考える考え方がある。
確かに、手元に本を置く欲望を我々は持っており、購入した人からその譲渡に対して対価を求める形で著作権使用料をいただいていたが、昨今は読書事情も変わり、多くは本の所有には関心をあまり持たない状況となっている。漫画や推理小説のようなものについては、繰り返し読まないものが多い。音楽CDのようにコピーを取って繰り返し聞くことがなくても、古本屋で買って読んだら物体としての書籍には価値がないということでまた古本屋に売りに行くということが起きる。推理小説の読者は犯人がわかればよいのである。
新刊書を買っている人も古本を買った人も同様に本を読むということを享受している。本を買った人は著作権料を支払っているのに対して、古本屋で購入している人は払ってないという状況が生じている。書籍を楽しんだ人から平等に使用料をいただくというのが本を生産したりする者の当然の考えと私は考えている。中古品流通に対して、デジタルと一般書籍を区別なく平等に検討して頂きたいと思う。
「漫画や推理小説のようなものについては、繰り返し読まないものが多い」というところは、まあ、三田氏のあまりの認識の甘さに苦笑するしかないというか。
両ジャンルのファンにとっては、この発言は侮辱以外の何物でもないし、一般に、活字の本より漫画のほうが、繰り返し読まれることが多いと思っていたが、違うのか?
これについては、
Copy&Copyright Diaryさんも、不快感を表明している。同感だ。
で、最後の段落だ。この理屈で中古屋は納得し、著作権者に金を払う気になるのだろうか?
これはもう、はっきりとNOだ。
少なくとも、現役新古書店員の私は納得しないぞ(笑)。
大体昔から、本が売れなくなったことや万引きが増えたことを新古書店のせいにされて。大体万引きにあってるのは新古書店も同じ……まあ、とりあえずはそのことは置いておくとして。
「書籍を楽しんだ人から平等に使用料をいただくというのが本を生産したりする者の当然の考えと私は考えている」
なるほど。
では、三田氏が中古車を買うときは、自動車メーカーに自主的に対価を支払うべきだ。ハヤシライスを食べるときも、考案者の林さんに金を支払え。なぜ、著作物にだけ、そのような特権的な地位が与えられ得ると考えるのか、理解に苦しむ。なんだっけ? 消尽しない譲渡権だっけか?
いや、本当にわからないのだ。誰か、私にもわかるように説明してくれ。
世の中にあまたある文化的な商品の中で、なぜ著作物だけが特別扱いされるのだ?
私の持っている本やCDやゲームは、私の私有財産だとばかり思っていたのだが、これらは著作権者から借り受けているものなのか? それなら、勝手に中古屋に売るなってのもわかるのだが。
だったら、返却したい本がダンボールで何十箱かあるから、返却先を教えてくれ。というかね、これというのは、今まで出版界が作り出し繰り返してきた理屈「新古書店のせいで本が売れなくなった」って代物から、自縄自縛的に導かれた権利の要求だわな。
それなら、出版界の皆様には、いいニュースと悪いニュースがある。
いいニュースは、新古書店という業態な、これ、業界内でも、既に成長の鈍化が始まっており、数年後にはマイナスに転じるだろうという予想が強いということ。
つまり、あなたたちの商売を脅かしていた新古書店は、数年後には減っていくのだ。おめでとう。
悪いニュースは、強引に「消尽しない譲渡権」を映画以外にも創設して、中古屋から利益を得ようとしても、そこから得られる収入は毎年目減りしていくだろうということ。
もっとも、新古書店の衰退に伴って、新刊の売れ行きが回復すれば問題ないわけだが。
安心しろ。逆立ちしたって、そんなことで売上は回復しやしない。私が断言しよう。